施工エリア|横須賀市 葉山町 逗子市 三浦市 横浜市 |
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コモハウス 建築の「作法、不作法」 |
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2025.11.8 空がこんなに青いから <戻る |
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空がこんなにも青いから僕は泣けてくる、と歌ったのは誰でしたか? 時代は変わる、それも劇的に。劇的であることすら悟られないように、世界は巧妙に、音も立てずにわたしたちの背後ですり替わって行く。 デフォーの「疫病流行記」をご存知ですか? ある日、一通の至急伝がマルセイユの港に飛び込んできます。客船の船内で原因不明の疫病患者が出た、と。 コロナは(ワクチンは)日本をどう変えたのか? 経済だけではなく、長引くマスクへの執着は日本人の生活を劇的に変えてしまった。 これは逆も正なりで、女子だって自分の想いを受け止めてくれるこの人こそと信じたくとも素顔が見えない相手にマスクを外すと出っ歯じゃないの?そんなの嫌っ! 少子化がとまらない。そもそもこのような状況下で結婚する男女が劇的に減ってしまった。これでは子どもができる筈がない。私たちの若い頃は目の色を変えてオンナ女オンナ。女子だって男オトコ男。それは自然な恋の駆け引き、人が人の絆を確かめ合う壮大な儀式。人と人の思いが入り乱れてこその人生ではありませんか。 住まいはその絆を確かめ合うためのパズルのピース。大事なピース。結婚という絆の終着駅と言ってもいい。男女が互いを確かめ合えない世界に愛の巣をかける理由もなく、ひとは散り散りとなって世界は崩壊の一途を辿るだけ。わたしたちはそのような世界の淵に立たされている。そうとは気づかぬ内に、静かに、劇的に、寂しさを抱きしめるように。 空があんまり青いから、ぼくは泣けてくる。 |
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2025.10.19 日本の住まいは変わるのか?<戻る |
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★★★★★ 戦争に負けて八十年。長い年月です。今や、若い人には日本が戦争に負けた、という事実すら知らない人がいるのかもしれない。いや、少なくとも、なぜ日本があの無謀な戦争に引き込まれたのか正確に知る人は少ないかもしれません。 「建築の作法、不作法」は建築会社の日々の記録ですからここで先の大戦に口を挟むのはそれこそ無作法というもの。今でも世界のあちこちで戦争が続いているのは人間様はあまり利口ではない証拠かしら。残念ながら戦争ははしたなくも起きてしまうもの、起こしてしまうものなのでしょう。 戦争とは比べるべくもありませんが、日本の住まいの変遷にも残念な動機があるものです。 さて、街へ出てみましょう。住宅街で足を止めて、わたしたちが目にする住まいの連なりを眺めて美しいと感じますか、それともなにも感じないでしょうか? 「美しい日本の私」と謳ったのは川端康成さんでした。これも先の戦争とおなじ、もうご存知ない方がほとんどでしょうが、「雪国」や「伊豆の踊子」で有名な作家です。日本で初めてノーベル文学賞を受賞した作家がストックホルムでの授賞式のスピーチで語った「美しい日本の私」。 個々に、私が美しくあるのは個人の節制と不断の努力で可能ですが、日本の街並みを美しく仕上げるのは建築会社のすぐれた審美眼以外にないでしょう。 私たちはたいへんな重責を担っている。その自覚。その責任。その使命。そしてそれはお客様によって鍛えられると云って過言ではありません。建築会社にすぐれた審美眼が備わっていても、お客様がそれを求めていなければ宝の持ち腐れに終わります。 美しい街並みを作るのはわたしたちの努め。 さて、その美しいと感じる心に訴えかけるもの、それはまず素材です。美味しい料理がまず素材にあり、その素材を調理するシェフの腕に委ねられている。 正しい素材を扱う建築会社は正しいものを積み上げて住まいを作ります。その結果が美しい住まいなのです。 さて、では本物の素材とは何でしょうか?
#横須賀市 #逗子市 #葉山町 #三浦市 #旧築提案の家 |
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2025.10.5 羨ましい <戻る |
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★★★★★ 東京の玄関についてさらに一言。 東京駅のあの古色蒼然とした赤煉瓦の威容は大正3年、辰野金吾の手になる近代を代表する洋風建築ですが、この東京駅は元々三階建てで、戦災で三階部分が崩れ落ち、あの三角形のドームももとはお椀を伏せたような非常に手のこんだデザインをしていたものが戦後の復興でばたばたとあのような形で纏められてしまったといういきさつがあります。 はい、これが「あのような形」、です。
現在はその威容が建築時のままに復元されようとしています。これは素晴らしいですね。建築に携わる方々は、おそらくは楽しくてしょうがないという日々を送られていることでしょう。うらやましい。 この東京駅の屋根の瓦に東北大震災で被災した宮城県石巻市の企業が関わっていて、手焼きの瓦がすべて津波で流されて、それらを必死の思いでかき集めて東京に送られたとか。もの造りの過程では、このように間一髪の板子一枚下は地獄のような光景がいつも浮かんでは消えて流れていくものです。 屋根の丸いドームのなかには十二支の干支の文様が残存する当時の図面どうりに美しくレリーフされ、甦っているそうな。これは必見ですね。完成は来年の10月だそうです。楽しみです。
この堂々とした駅舎を設計した辰野金吾は別名「辰野堅固」と揶揄されたほど堅実で、その堂々としたたたずまいは辰野金吾の面目躍如といった感があります。 わたしたちの建築も、小さくてもぴりりとした建物を建てていきたい。ちいさな願いは、切なる願い。 (付録) 私の故郷大分にも辰野金吾氏の手になる「小東京駅」があります。 |
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2025.9.27 じつに壮観 <戻る |
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★ 東京の空の玄関と云えば成田?羽田? 建築でも家づくりでは玄関は大切な要素。狭小敷地ではまさにこの玄関が悩みの種で、道路に面しておくべきか、脇に通路をもうけて奥に誘導して道路側からの採光を確保するべきか?大いに悩むところではあります。問題は敷地が狭いからであって、広ければなにも悩む必要はありません。 そうしてみると、日本の空の玄関も、この国土が狭いが故におおいに悩ましい結果を招くということになったのかもしれませんね。国家の事情も家庭の事情とさして変わらない。 しかし、この敷地の奥に玄関をもうける場合は、その導入路をいかに魅力的に仕上げるかが建築会社の腕の見せ所ということになります。 そうか。成田が魅力がないのは、この導入部が貧弱だから?(失礼)そう。羽田もかっては浜松町からのモノレールと云う未来都市のような魅力的な交通機関があったからこそ、羽田までの行き帰りをまるで鉄腕アトムの世界のようなくすぐったい気持ちにさせてくれたからこそわれもわれもと羽田詣でを繰り広げたのかもしれません。(ほんと?) そう。成田からは地下深くを一直線で結ぶ弾丸列車のような交通網が必要だった。地下一直線で30分で東京と成田を結ぶような。あっと驚くリニアモーターカーで新宿までひとっ飛び。な〜んてね。 さてさて空の玄関は別にして、地上の玄関と云えばそれはやはり東京駅。西の東京駅、東の上野駅と東西の両横綱がしのぎを削った時代がなつかしいですね。 羽田発のヒコーキを下りてもそこは都会の延長線。訛もなく、ユニクロもマックもそこにある。 最終便に乗れば日帰りだって夢じゃない。 田舎なんて、、、そう? #横須賀市 #逗子市 #葉山町 #三浦市 #旧築提案の家 |
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2025.9.12 八月の空の蒼さよ <戻る |
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やっと九月。それなのにブログのタイトルは「八月の空の蒼さよ」。 ★★★★★ 地震大国ニッポン。この国で地震を舐めたらあかんぜよ。しかしまた、だからと言って地震を前に怯んでいても生活は成り立ちません。昨今の関東地方の連続地震。何かの前触れと怖れながらもウン十年。いつきたって怖かない、なんて言いながらも実はそれはタダの「つよがり」。 先だっての熊本地震。熊本の友人に聞くと「やっぱり金物で雁字搦めにした建物がダメですね」と。 SE工法などは金物が強すぎて柱が途中でせん断する。仕口は金属で外れないけれど梁が木部で引きちぎられる。確かに金物で固定したところは強いけれど、その強さが仇となって代わりにより脆弱な柱の途中で折れる。梁がねじ切れる。震度5や6には耐えきれるけれど、6強やそれ以上では持ちこたえられない。 「やっぱりしっかりした在来には敵わないねえ。金物工法じゃあ揺れは吸収できない」と。 さて昨今のこの暑さ。たまらない夏。が、しかし、その空の青さはウワッ!コレは、原色の蒼さ。空まで暑いけれど、しかし美しい空の蒼さよ。 長沢で建築中の I 邸 。建築の勉強をしたかったという I 様の思いがこもった東濃ヒノキで建てる「夏の家」。今日はまた、真っ青な空に映えるコモハウスの力作です。いえいえ、 I 様の力作です。 西側の庭から見る I 邸。いやはや、今日は空の1日でした。
#自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #逗子市 #葉山町 #三浦市 #旧築提案の家 |
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2025.8.22 方丈記 <戻る |
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★ 「たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。」 人の世の儚さを歌う鴨長明のこの有名な一文。「方丈記」。 ウサギ小屋と揶揄された日本の住まいですが、方丈記は住まいの大小を語るものではなく、人生の機微、哀歓、家をとうして、その荒廃をとうして一族の衰退 を語るわけです。しかし、私たちの住まいと街造りの骨格が、これほど見事に語られているのを目の当りにしますと、私たちは家造りの骨格をどこかで大きく間違えてしまっているのではないかと疑われてならないのです。 「多摩ニュータウン」といえば私が学生のころ、遺跡の発掘調査でよくアルバイトした京王線永山駅の広大な丘稜を思い出します。そこを切り開いて次々と建てられたベッドタウンは、今、若者たちが巣立った後の老人タウンと化して学校は次々に閉鎖され、街全体が老人ホームと化してしまいそうな勢いです。日本中のあちこちで、これに類した悲喜劇が繰り返されているのでしょうか? 若い家族が新しい街を興し、ミニ開発の名のもとに1000坪の畑が山が切り開かれて安っぽい建売り住宅が建てられていきます。これから20年間にわたって子育てが始まり、いずれは子供たちも巣立っていき、あとに残された無惨な建売り住宅の残滓がこの国の住まいを永遠にみすぼらしいままに留(とど)めてしまいます。 その衝動はなんだろうか?と思うのです。 小さな家は許される範囲でしょう。家の大小が問題なのではなく、住み継ぐべき家の精神がすでに失われてしまっているのです 心の方丈からのがれておおきな精神を手に入れるために建築会社にできることがあります。家がさきに朽ち果てるのか、人間がさきに朽ち果てるのか? 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と すみかと、またかくのごとし。」
#自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #逗子市 #葉山町 #三浦市 #旧築提案の家 |
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2025.8.9 スギ花粉症の不都合な真実 <戻る |
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★ 人間てえヤツは理屈じゃあない。 急ぎ足は習い性。急いては事を仕損じる。それでもがむしゃらに一点突破、仕損じた暁は、アッシにはカンケーねえ事で。三十六計逃げるに如かず。 春先は風が吹く。風が吹くと桶屋が儲かる。しかし、近頃では風が吹くこの季節はスギ花粉が舞い、クシャミ鼻水鼻詰まり。ご用心ご用心。(誰が儲かるかはさて置いて) 吉野杉といえば杉の名産地。江戸時代からつづく杉と言えば吉野の杉。近場で言えば静岡県の天竜杉。千葉県だって山武杉、四国には伊予杉、木頭杉、九州には飫肥杉、薩摩鉄杉、日田杉、屋久島には屋久杉、縄文杉、島は山ごと杉杉杉。島の全土はスギ花粉に覆われて屍河原水子草。??? 昔から日本全国名産地として知られている杉の産地ではさぞお困りでしょう。杉に苦しめられ、村人はこぞって鼻水だらだら。花粉のせいで一家離散、凄惨な親殺し子殺し、果ては因果な巡り合わせを恨んで裏山の杉の木に首を括って首吊り自殺。根っこに刻んだ「怨」の一文字。 はて、面妖な? 地元にそんな言い伝えのひとつふたつはありそうですが、そんな話はひとつも聞こえてこない。杉の花粉はほんとうに飛ぶのか?日本全国にある杉の名産地ではどこも風土病のように蔓延して人々を困らせているのか?嗚呼、その名もスギ花粉症。杉を「スギ」とカタカナで表現するのも何か意味でもあるのだろうか? しかし、これだけ日本中に蔓延して、その原因が杉だということまであっさり突き止めておきながら、なぜ、杉の花粉のどのような成分が鼻水ダラダラの原因なのか、科学者が突き止めたという話はまったく聞かない。まるで幽霊の正体見たり枯れ尾花。笑 原因は他にあるかもしれない、とは誰も思わず、杉は寂しくそこに佇んでいる。 さて、コロナが流行り始めた去年一昨年はスギ花粉症がめっきり減って、これはマスクのお陰だと喧伝されましたね。笑 しかし、今年も街ゆく人々はあいも変わらずマスクマスクマスク。 濡れ衣を着せられた愛しの杉は今日も泣いているのだろうか?それとも、あまりのバカバカしさにニンゲン様をバカにして大笑いしているのだろうか? 嗚呼そは悩まほしくありけり。 #自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #逗子市 #葉山町 #三浦市 |
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2025.7.30 過去から逃げてくる <戻る |
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こんな暑い日に玄関先で父と水浴びをしてはしゃいだのはもう遠い日の思い出。 光陰矢の如し。 そう言えば結婚して最初の子が出来たばかりの頃、夕方になると親子三人で夕涼みに表通りの暗くなった歩道を散歩するのが楽しみでしたが、その表通りというのがじつは東京の井の頭通りでした。近くにロイヤルホストもあったりして、そこまでてくてくてくてく子どもの歩調に合わせて行って帰ってくるだけ。たまにはお店でコヒーを飲んだりしたのかしら? 先週の土曜日、小金井公園の「江戸東京たてもの園」に行こうとこの井の頭通りを車で走ったのですが、すっかり今浦島でまるっきり変わってしまったのにびっくり仰天、何てったってこんなに道が狭かったの?まだ家々の間も隙間だらけで空はもっと大きかった。 一緒に散歩した子も今ではすっかり大きくなって、変わらないのは家づくりに七転八倒するお父さん(わたし)だけ。 わたしの上に降る雪は 先日とある建築雑誌を読んでいましたら、 「建築は経験学だと考えている。建築家は誰も、自分が体験した建築から影響を受けている。」 と建築家の神谷昭雄さんがおっしゃっている一文に目が止まり、まさに言い得て妙、建築に携わるものはひそかにこうした想いを胸に抱いているのではあるまいか。 過去に手掛けた建築は背負いこむものが多すぎて押しつぶされそうなほど深く刺さっているのですが、しかし、もちろんそれは経験という分厚い肥料としてその後のあたらしい展開の支えになっているのは間違いありません。建築は日々発見なのです。意図した道筋があらぬ方へ自分たちを導いていく。自分の考えたことであるにもかかわらず、新鮮な発見に心踊らされる日々の連続。
良いものを愚直に追い求めれば追い求めるほど抱えるトラウマは限りないものになってしまいます。 しかし、建築はこれも仕事と割り切ればなにもそこまでしなくても、という悪魔の囁きが聞こえてくるのですが。 コモハウスの建築は設計施工です。なにも書かれていない真っ白い紙に鉛筆を立て、絵を描くように描き込み造形し、その上で今度は実物を作り込んでいく。作り込む過程で選択肢は百通り。そのどれを選ぶにしてもそこには葛藤がある。 こうしてひとつひとつの経験が建築を掘り起こし、その経験の後押しであたらしい仕事に臨むことができるのです。この一棟をながして建てればその経験は浅く、心にも残らないでしょう。 わたしの上に降る雪は |
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コモハウス ComoHouse |
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