施工エリア|横須賀市 葉山町 逗子市 三浦市 横浜市 |
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コモハウス 建築の「作法、不作法」 |
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2026.3.13 「危険がいっぱい、愛もいっぱい」 <戻る |
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わたしたちのまわりには落とし穴がいっぱいある。知らずに歩きまわると人生の落とし穴にはまる。 地盤沈下が心配のあまり、かけなくても良い保険をかけて地盤調査で要注意判定。3年前、立て続けに4棟の新築で地盤に問題ありの判定をうけ、さすがに4件目でちょっと待った! SS試験の結果に異議あり。ま、しかし、それも勇気のいる判断です。ですが、そのSS調査の会社が地盤改良工事までお任せとなると、はて、面妖な? 皆さん悪気はないのです。心配だといえばすべて心配です。安心に二股は不要と思うのもお客様から言わせれば心配のタネ。そこでわたしたちはプロとして大事な選択を迫られます。 予算。 潤沢な予算があるわけではありません。その中で地盤改良に掛ける予算の辛いこと。そういうときは思い切ってもう一社地盤調査をかけてみる。数万円の経費をかけても百万円の地盤改良よりは安くつくかもしれない。これは決して博打ではありません。医療にセカンドオピニオンがあるように、地盤調査にもセカンドテストがあっても良い。 うん。ハウスメーカの坪単価ベスト10。 ここでは詳細はもちろん省きますが、一番高いハウスメーカーは坪110万円。10位まで下ると85万円。そうか。もちろん中身までは伺うことはできません。昨今のウッドショックを乗り越えて様々な建築資材が値上がりする中では110万円も詮無いこと。 そういえば以前大手ハウスメーカーと並んで隣同士で建築工事を進めていたとき、ふと玄関先を見るとお隣の、みなさんもよく知る某ハウスメーカーの大工がふたり、興味ありげに覗き込んでいるではありませんか。 職人ですから歓心が高いのでしょう。たしかにコモハウスの家づくりは困難な納まりが多いとわたしも常々自覚しています。できそうでできない、できないけどできる。そう、大事なことはチャレンジなのです。 馬鹿と鋏は使いよう、材料と仕上げは頭で使う。 そんなコモハウスの建築現場をご覧になりたい方はいつでも見学オーケーです。 |
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2026.2.8 「日本の家は30年、住宅ローンは35年」 <戻る |
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★ 「「日本の家は30年、住宅ローンは35年」 とある建材会社のパンフレットにさりげなく記載されていたこの一文。シュールな言い回しですが、これは多分、ジョークですよね?シリアスだとすると救われない。救われない家づくりに励む建築会社はさらにジョークを通り越している。 設計図面とにらめっこ、住まいの空気の流れと快適な室内環境、冬暖かく、夏涼しい家づくりは詰めていくほどに回答が方眼紙にくっきりと現れてくる。 さて、快適な家づくりは、まず、断熱材から。 思えば初めて羊毛断熱材を使ったのはあれはもう15年、いえ16、7年くらい前になります。これはいい、と思って早速ネットで調べると、ニュージーランドのとあるディストリビューターが取引しませんかと言うサイトにたどり着いて、見積もりをお願いすると、おっ、なんとこれは安いじゃないか、船賃だってこんなものなの?勇んで飛びついたのですがいかんせんその単位がコンテナ単位。山のようなウールを積み上げて置く場所もなく、あっさりと諦めて国内の輸入業者から買う羽目になりましたが、ま、それはそれで正解なんでしょうね。 その初めてのウール断熱材に囲まれた Y 邸の真っ白い羊毛空間はまるで羊の群れに飛び込んだ羊飼いのようでそれは美しかったですね。あの頃は耳のない断熱材も珍しく、タッカーで止めるのも、ここでいいのかな?なんて恐る恐る踏み出したりして。床の断熱材も壁も屋根裏も全て羊。メェー?いえ、羊毛。そのウールに包まれた室内の内装は珪藻土で仕上げ、外部の左官も珪藻土左官壁。窓はペアガラスの木製サッシです。しかしこの珪藻土を塗り終わった時、部屋の真ん中で左官屋さんの K さんと座り込んで、だけどなんだか海の底にいるみたいだねえ、と K さんがポツリともらしたのが今でも印象的です。そう、ほんとうに竜宮城があるのならこんな空気(?)に包まれているのかもしれない。なんだかちょっぴりしょっぽくてゆらゆらゆらゆら海の底。(珪藻土は海底の珪藻が海や湖や沼などで大量に増殖し死滅すると、その死骸は水底に沈殿し、それを掘り起こしたものが珪藻土、というわけです) 完成後、施主様は室内の音が全く外に伝わらないと言って驚いていらっしゃいました。 玄関ドアも気密性の高い木製のドアでしたが、残念なことに、17年前はまだ気密についてとことん掘り下げるということをしていなかったのです。(勉強不足は気がついたら取り返せ!)せっかくの高断熱が高気密と計画換気の面で少し劣ることになってしまいました。 早いものであれから15年。いや、17年。あと15年もせづにこの日本の家も30年を超える。果たしてローンに勝てるのか? (2026年の今日、すでに25年の歳月が流れました。)
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2026.1.12 「もういちど、有機的建築」 <戻る |
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★ 有機的建築といえばフランク・ロイド・ライト。旧帝国ホテルの設計で言わずもがなですが、日本にはライトの設計した建物が本国アメリカに次いで多いのです。 さて、ライトを持ち出すとことがおおごとになりますが、ライトのある意味ゴージャスな建物は向こうに置いといて、わたしたちは極東のちいさな島に栖むちいさな家の住人。 わたしたちには貧しい、それしか選択肢のない有機的な建築。貧弱な世界を押し広げて行くとその先に広がる有機的な建築。それは時代がル・コルビジェに代表される無機質のコンクリート打ちっ放しの「住むための機械」が時代を席巻する中で、そうした無機質の建築に抗いながら控え目に持ち出してきたこれっきゃ無い世界。しかし、それをすら跳び越えて広がるこの国の木造のゆたかな世界。 そういう意味でも日本の木造住宅はまさにライトの理想であったかもしれませんが、しかし、その私たちの建物を仔細に見るとまことによく考えられている。土壁はそののまま優れた断熱壁で、フラット35Sを凌ぐ性能を有している、かもしれない?。屋根の藁葺きは断熱材としてこんな圧倒的なものは現代では皆無。梁、桁、柱、そのどれをとっても二百年住宅、三百年住宅に負けない、かもしれない?。 法隆寺を持ち出すのは禁じ手ですが、法隆寺は正確には百二十五棟の建物群からなる西院伽藍と東院伽藍からなる斑鳩の里。法隆寺という界隈。法隆寺という世界。法隆寺という結界。 ライトが目指した有機的建築の極北。しかしそれはライトの世界とはまったく異なる異次元の世界。家造りには集成材よりも本物の持つ無垢の柱が望ましい。 壁にクロスを貼るよりも、漆喰や珪藻土の方が気持ちがいい。 家は足し算よりも引き算がいい。 ハウスメーカーよりも町場の工務店がいい。 作り手の顔が見えるちいさな工務店ならなをさらいい。 小さくても山椒は小粒のコモハウスがいい。(笑) 家は美しくありたい。美しい家の定義はむずかしいけれど。 ただ言えることは、努力なくして美しい家は手に入らない。 その努力を払うのは建築会社だけでは難しい。 若い人が建て売りに走るのもムベなるかな。家造りは根気と努力、そして勉強。しかし、勉強するには奥が深すぎる。美しい家が欲しいという不断の欲求を保ち続けるには、街に美しい建物が溢れていることが望ましい。美しい建物がなんなのかを実地で勉強できる環境こそが望ましい。 となると、やっぱり大事なことは建築会社の家づくりへの姿勢に限るのかもしれない。 斑鳩の里に建て売りはありえない。
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2025.12.4 「住まいの基本」は自然素材の家 <戻る |
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★ ここにきてまた厳しい残暑が続きます。だいたい九月に入るともう残暑とは呼ばない。しかし、この暑さは、、、 さて今日は棟上げの第二日目。暑さの中を大工が頑張って、まさに「大工よ、屋根の梁を高く掲げよ」。 家づくりの基準をどこに置くかは人それぞれ、建築会社のさじ加減も加わって、「住まいの基本」はともすれば経済の基本に置き換えられてしまう。 簡素な住宅を建てたい。 「自然は人工よりも美しい。簡素と軽快は複雑よりも美しい。建物の広さにしても、材料にしても、節約は浪費より美しい結果を生む。」 これはフランク・ロイド・ライトとともに帝国ホテルの設計のために来日して、そのライトの元を離れても日本で建築を設計し続けたアントニン・レーモンドの言葉です。 建築会社はお客様あっての建築です。お客様がいなければ家は建たない。しかし、だからと言ってお客様の言い成りになっても良い家は建たない。全力で、私たちの家づくりを理解していただいて、私たちが良かれと思う方向にお客様を導いて、その結果が喜ばれるのであればこんな建築屋冥利につきる喜びはない。しかし、それはとても難しい。 今日は久しぶりにCDを買いました。これがSHM-CDという高音質のCDで、噂に聞いてはいましたが、確かに音が素晴らしい。こんな高音質で聴きたかったのはムーディー・ブルースの「メランコリーマン」。 ムーディー・ブルースで思い出すのはその昔、大昔ですが、ユーゴスラヴィアのどこの町だったか、田舎町の路地を迷いながら歩いていると、角を曲がって狭い石畳の路地のその先の小さな古い民家から聞こえてきたオルガンの音。そのオルガンを誰が弾いていたのか?それはムーディー・ブルースの「サテンの夜」だったのです。まるで雷に打たれたように立ち止まって、あの頃の共産国の暗い現実の中でまるで「サテンの夜」が私たちの心を明るく照らし出す一条の光のように感じられたのです。あんな美しい音楽を聴いたことはこれまでなかった。オルガンの簡素な音が何より美しい。 こんな風に家を建てたい。 #自然素材の家 #横須賀市 #逗子市 #葉山町 #三浦市
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2025.11.15 ヒノキと僕とコモハウス <戻る |
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★ 建築会社はどこでも頑健な建物を建てたいと思うものです。日本に生まれ育って、あたりの山々を眺めて過ごす日々はおそらくどこの生まれでも、見渡せばそこに山がある。 子供の頃、小学校の教室の窓から見える遠くに連なる山の姿になぜかホッとしたものでした。私が子供の頃は大きな建物もなかったので、すぐに山が飛び込んできたのです。私が育った街は海のすぐそば、山の気配などどこにもなく、見わたす平野の遠い向こうに山の稜線がくっきり見える。 校歌にも、「由布の高嶺に、白い雲」 とありました。そうです。その由布岳が遠くに見えたのです。今では大人気のあの湯布院を見下ろす由布岳です。そう言えば同級生に由布という悪ガキがいましたが今ごろどうしているんだろうな? そんなことを思うのも、わたしたちの身直に山があり、山のあなたの空遠くには幸いが住んでいるから山へのあこがれは尽きぬものがあるのかもしれません。 日本の山には数え切れない種類の樹木があります。その数え切れない種類の木々の中からヒノキを選ぶのは、わたしたちのご先祖様がこの木の持つ特性を見事にとらえて、建築用材として大事に育ててきた歴史があるから、だから私たちはヒノキを選ぶのです。 「木曾五木」と言えば、ヒノキ、コウヤマキ、ネズコ、アスナロ、サワラ。 さて、ではこの中でヒノキ科とは無縁の樹木が一つあります。それはなんでしょうか? 現代の建築では構造材はどこも集成材です。呼び名はいろいろありますが、ことに「エンジニアリングウッド」なんて聞くとカタカナに弱い御仁はもうダメです。なんだかウットリ。涙目でああ「エンジニアリングウッド」。( 薄い単板を糊で貼り合わせただけですが。) 法隆寺の時代にして既に木造建築は完成されていました。情けないことに、わたしたちは飛鳥の工人に技術で勝てない。プレーナーはカンナに勝てない。丸ノコはノコギリに勝てない。インパクトは玄翁に勝てない。 当社の家づくりは今だに愚直に構造材はヒノキです。横架材は松です。どれも「非エンジニアリングウッド」です。(笑)もちろん乾燥材ですが。しかし、わたしたちには夢がある。 技術の進歩は目覚ましいものがあります。快適な住まいづくりを支えるもの。 #自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #逗子市 #葉山町 #三浦市 #旧築提案の家 |
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2025.11.8 空がこんなに青いから <戻る |
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空がこんなにも青いから僕は泣けてくる、と歌ったのは誰でしたか? 時代は変わる、それも劇的に。劇的であることすら悟られないように、世界は巧妙に、音も立てずにわたしたちの背後ですり替わって行く。 デフォーの「疫病流行記」をご存知ですか? ある日、一通の至急伝がマルセイユの港に飛び込んできます。客船の船内で原因不明の疫病患者が出た、と。 コロナは(ワクチンは)日本をどう変えたのか? 経済だけではなく、長引くマスクへの執着は日本人の生活を劇的に変えてしまった。 これは逆も正なりで、女子だって自分の想いを受け止めてくれるこの人こそと信じたくとも素顔が見えない相手にマスクを外すと出っ歯じゃないの?そんなの嫌っ! 少子化がとまらない。そもそもこのような状況下で結婚する男女が劇的に減ってしまった。これでは子どもができる筈がない。私たちの若い頃は目の色を変えてオンナ女オンナ。女子だって男オトコ男。それは自然な恋の駆け引き、人が人の絆を確かめ合う壮大な儀式。人と人の思いが入り乱れてこその人生ではありませんか。 住まいはその絆を確かめ合うためのパズルのピース。大事なピース。結婚という絆の終着駅と言ってもいい。男女が互いを確かめ合えない世界に愛の巣をかける理由もなく、ひとは散り散りとなって世界は崩壊の一途を辿るだけ。わたしたちはそのような世界の淵に立たされている。そうとは気づかぬ内に、静かに、劇的に、寂しさを抱きしめるように。 空があんまり青いから、ぼくは泣けてくる。 |
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2025.10.19 日本の住まいは変わるのか?<戻る |
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★★★★★ 戦争に負けて八十年。長い年月です。今や、若い人には日本が戦争に負けた、という事実すら知らない人がいるのかもしれない。いや、少なくとも、なぜ日本があの無謀な戦争に引き込まれたのか正確に知る人は少ないかもしれません。 「建築の作法、不作法」は建築会社の日々の記録ですからここで先の大戦に口を挟むのはそれこそ無作法というもの。今でも世界のあちこちで戦争が続いているのは人間様はあまり利口ではない証拠かしら。残念ながら戦争ははしたなくも起きてしまうもの、起こしてしまうものなのでしょう。 戦争とは比べるべくもありませんが、日本の住まいの変遷にも残念な動機があるものです。 さて、街へ出てみましょう。住宅街で足を止めて、わたしたちが目にする住まいの連なりを眺めて美しいと感じますか、それともなにも感じないでしょうか? 「美しい日本の私」と謳ったのは川端康成さんでした。これも先の戦争とおなじ、もうご存知ない方がほとんどでしょうが、「雪国」や「伊豆の踊子」で有名な作家です。日本で初めてノーベル文学賞を受賞した作家がストックホルムでの授賞式のスピーチで語った「美しい日本の私」。 個々に、私が美しくあるのは個人の節制と不断の努力で可能ですが、日本の街並みを美しく仕上げるのは建築会社のすぐれた審美眼以外にないでしょう。 私たちはたいへんな重責を担っている。その自覚。その責任。その使命。そしてそれはお客様によって鍛えられると云って過言ではありません。建築会社にすぐれた審美眼が備わっていても、お客様がそれを求めていなければ宝の持ち腐れに終わります。 美しい街並みを作るのはわたしたちの努め。 さて、その美しいと感じる心に訴えかけるもの、それはまず素材です。美味しい料理がまず素材にあり、その素材を調理するシェフの腕に委ねられている。 正しい素材を扱う建築会社は正しいものを積み上げて住まいを作ります。その結果が美しい住まいなのです。 さて、では本物の素材とは何でしょうか?
#横須賀市 #逗子市 #葉山町 #三浦市 #旧築提案の家 |
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2025.10.5 羨ましい <戻る |
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★★★★★ 東京の玄関についてさらに一言。 東京駅のあの古色蒼然とした赤煉瓦の威容は大正3年、辰野金吾の手になる近代を代表する洋風建築ですが、この東京駅は元々三階建てで、戦災で三階部分が崩れ落ち、あの三角形のドームももとはお椀を伏せたような非常に手のこんだデザインをしていたものが戦後の復興でばたばたとあのような形で纏められてしまったといういきさつがあります。 はい、これが「あのような形」、です。
現在はその威容が建築時のままに復元されようとしています。これは素晴らしいですね。建築に携わる方々は、おそらくは楽しくてしょうがないという日々を送られていることでしょう。うらやましい。 この東京駅の屋根の瓦に東北大震災で被災した宮城県石巻市の企業が関わっていて、手焼きの瓦がすべて津波で流されて、それらを必死の思いでかき集めて東京に送られたとか。もの造りの過程では、このように間一髪の板子一枚下は地獄のような光景がいつも浮かんでは消えて流れていくものです。 屋根の丸いドームのなかには十二支の干支の文様が残存する当時の図面どうりに美しくレリーフされ、甦っているそうな。これは必見ですね。完成は来年の10月だそうです。楽しみです。
この堂々とした駅舎を設計した辰野金吾は別名「辰野堅固」と揶揄されたほど堅実で、その堂々としたたたずまいは辰野金吾の面目躍如といった感があります。 わたしたちの建築も、小さくてもぴりりとした建物を建てていきたい。ちいさな願いは、切なる願い。 (付録) 私の故郷大分にも辰野金吾氏の手になる「小東京駅」があります。 |
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コモハウス ComoHouse |
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