施工エリア|横須賀市 葉山町 逗子市 三浦市 横浜市 |
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コモハウス 建築の「作法、不作法」 |
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2026.8.2 キッチンをデザイン <戻る |
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このところ台所の改装の依頼が多いのですが偶然が重なることで思わず知らず台所の使い勝手について深く考えさられるものがありました。 男子厨房に入らず。 そう、私は古い世代に属する身。妻の家内労働の負担に気が付かずにズルズルと人生を送って来た身。食べることは人生の中心、ど真ん中。住まいの中心に何を置くか?食卓と答えたあなたは大間違い。その食を提供する厨房こそ大事にしたい。 図面を考えるとき、まず頭に浮かぶのは敷地との関係ですが、玄関をどこにするのかと、生活の中心である憩う、寛ぐ、そして考える空間をどのように配置するのかを頭の中で想像して見ます。そう、私は古い人間。古典派を自称する独り善がりの亭主。一家を支える食の大事さに未だ気がつかない唐変木。 空間というのは面白いですね。なにもない空間に思い出を継ぎ足していく。テーマは? お客様と打ち合わせるとき、その一等最初はできればご夫婦でお会いしたい。お二人の過去現在未来に想いを馳せて、この二人にはこういう空間がふさわしいのではないかと想像することはとても楽しい作業なのですが、往々にして、最初にお会いするのは奥様だけ、というケースが多いのです。 ああそれなのにそれなのに、家族の命を預かる厨房の使い勝手に想いが至らない。 私の不徳。 楽しい厨房は一家の幸福の源。女性は直感でそのことに気がついているのですが、残念なことにそのことを主張する機会がない。( もしかすると男性が知らず識らずにその機会を奪っているのかもしれない、、、) そう、大事大事。大事にしています。 |
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2026.7.8 スポーツと武術 <戻る |
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★ スポーツと武術は似ているようで全く違います。柔道はスポーツで、剣道もまたスポーツです。では近頃なにかとお騒がせなあの相撲はスポーツなの?それとも武術なの? そうですね、このあたりに実は大切なヒントが見え隠れしています。身もふたもない結論を先に云えば、相撲は興行なのです。見せ物に近い物がありますが、スポーツとは縁もゆかりもないし、ましてや武術からはもっとも遠いところにあるといっても間違いではありません。では、そういいきってもよいのか?と問われれば、う〜んとなんだか納得できないところではあります。相撲を見せ物と言い切るのにはわたしたちはあまりにも相撲を愛していますから。 明治以降、柔術が嘉納治五郎によって柔道と姿を変えたのは、国家の形成が曖昧な姿を許さなくなったのと無縁ではありません。日本という国家がアメリカやイギリスやフランスという外国によって相対化されたことから嫌でも応でも国家として対外的に輪郭をはっきりさせなくてはならなくなってきたのです。柔術は、もう柔術のままでは成立しない。つまり、柔術では飯が食えない、ということです。そう、しかし、柔術家は飯など食えなくてもよかったのです。日本はとても曖昧な民族ですから、ボーダーライン上に無用の存在がたくさんあったのですが、その一見無用とも思われるさまざまな存在は、この国が山国で、一歩奥へ入ればその存在すらあやふやなたくさんの異形の人々がいたということもあわせて考えてみた方がよいでしょう。つまり、飯を食う、禄を食む、定職に就く、そんな次元とは全く異質な鬼や山法師や修験者や武術家といったわけのわからない圧倒的な存在がこの世にあったということをよく覚えておく必要があります。 子どもの頃、あれは十か十一の頃ですが。 学校の先生が、「きょうはみんなにすごい物を見せてあげましょう。別府の山奥で修行しておられる武術の先生が山を下りてきたので特別にみんなにその技を見せてくれるそうです」 そんなはなしだったと記憶しています。わたしたち生徒は皆校庭に集められて、朝礼台の前でその特別なひとの演舞を見守ることになりました。まず、素手で自然石を割るということで、「えいっ」という気合いもろとも次々と漬物石よりもう少し小さい自然石をこなごなに割っていったのです。 当時はまだ別府の山のなかも人跡未踏(?)の山林でしたから、そんな深い山奥で一人修行するという武術家の存在そのものがおおきなリアリティを持っていたのです。 人間の体のなかにはとんでもない能力が眠っていて、人知れずその能力に磨きをかけるひとがおそらくは今でもいるのだと思います。そういう存在が生きにくい世の中になってはきましたが、彼らの次元から見る世の中の実相は、おそらくわたしたちとはまるで違う姿をしているのだろうと思います。 |
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2026.6.17 ガラスの部屋 <戻る |
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「ガラス」 硝子、オランダ語で glas 、英語では glass と書きます。「硝子の部屋」という映画が昔ありました。「徹子の部屋」ではありません。 さて、しかし、わたしたち建築会社にとっては「レイモンド」と言えばアントニン・レイモンド。帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトの助手として一緒に来日してそのまま日本に居ついたという風変わりな彼。ライトも大変な日本好みでしたがレイモンドさんはそれに輪をかけたのかかかったのか。有機的な建築の元祖としてライトとならぶ一方の旗頭と言っていいのでしょうね。 伝統的な日本建築の良さを再確認したレイモンドの作品は木と土と紙という有機媒体を通して築き上げる「住まい」の核心を大胆に撃つ、今から振り返るとその構想の原点に日本があるとすると私たちは失ったものの豊かさに愕然としてしまいます。 美しい精神か。持ちたいと思います。 さて、硝子から話が飛躍したのは、先週お引き渡しした「夏の家」。その内部にこの土地に以前建っていた古家のガラス障子を保管しておいて新しい家にも欄間として再利用したことからなんとはなし、ガラスの部屋が思い出され、レイモンドが思い出され、そして、、、。 今ご相談にあずかっているK様邸。まさに木と土と紙の建築。熱心に模型まで作られて、みなさんシロートとは思われません。さあ、このあとどのように発展していくのでしょうか? 家づくりは新しいようで古い。古いようで新しい。新しい精神は古い精神にかろうじて乗っかっている。古いものは美しい。適わないなあ。 |
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2026.5.7 「それから、あれから。」 <戻る |
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先日何かで見たのですが、世界一古い革靴が、これがなんとアルメニアで発掘された約5,500年前の靴で、姿形は今時の革靴となんら変わりがない。大量の羊のフンに埋め尽くされたおかげで奇跡的に原形をとどめていたという、この気の遠くなるような古い古い革靴を見ていると、まるでこの世界では技術の進歩はほとんどないと言って良いのかとさえ思われます。しかし、技術は我々が思う以上にすでに深い世界に届いているのかもしれません。事実はどうかわかりませんが、これは恐ろしいですね。こんな靴を拵えるように、こんなふうに家を建てたい。
初めて履いた革靴は今でも覚えているのですが、先の丸くなった焦げ茶色のちょっとチャップリン風の革靴でした。一足跳びに大人になったようで、なんだか嬉しかったなあ。文明はつま先からやってくる。歩くスピードよりほんの少し早い🚶。追いつけそうで追いつかない。追いかければ逃げて行く。 家づくりも同じこと。理想の建築はすぐ目の前に見えている。なのに追いつかない。届きそうで届かない。良い家を建てたい、とそう思うのですが、良い家の定義はさらに難しい。 快適で、ちょっと不自由で、美しくて、チョッピリ欠点もある。まるで家は人間みたいに取り留めがなく 、奥行きがありそうで単純すぎる。「良い家」はほんとうに難しいけれど、「よい家」は裏切らない。 |
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2026.3.30 「森の友」 <戻る |
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世間は森友学園の話題で持ちきり。 「毎朝の朝礼において、教育勅語の朗唱、国歌“君が代”を斉唱します。 森友学園とはつまりはこの塚本幼稚園のことです。いいですね。この教育方針はわたし、個人的には大賛成です。幼稚園から英語を教えたり、算数を教えるよりも、教育勅語を朗唱し、君が代を斉唱、剣道、論語、将棋、そろばん。これはほんとうに大事なこと。そんな大事なことを直球で教えてくれる、そんな幼稚園は滅多にない。おそらくは、昔の寺小屋もこのような形で教育が行われていたのではなかろうか。 剣道はほんとうに大事なことを身体で覚える、人間教育としてはこんな素晴らしい授業はない。と思う。問題の本質がなんなのか?わたしはつまびらかに知らないので軽々に発言はできません。 教育勅語というとまるで戦前の軍隊教育のごとく誤解される向きもありますが、これはもう本質的に違います。 戦前の修身の教科書(道徳教育です)を読めば、さらに私たちの為すべきことがなんなのか、心に深く思い至ることでしょう。 わたしもつらつらと考えるのです。私たちの世代はかろうじて、そうした修身教育を受けた親に育てられた最後の世代なのです。そうしてどこかで、友達と仲良くしなさい、悪いことをしてはいけません。一生懸命自分の仕事に精を出しなさい。ものを食べながら歩いてはいけません。ものを大事にしなさい。というごくごく当たり前の教育を親から学んだ最後の世代なのです。 教育とはむずかしい事業です。我が子を育てることほどむずかしい仕事はない。子供を叱る。悪いことは悪いと叱る。素直に聞く耳を持つ子供に育てるのは並大抵の苦労ではありません。 |
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2026.3.13 「危険がいっぱい、愛もいっぱい」 <戻る |
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わたしたちのまわりには落とし穴がいっぱいある。知らずに歩きまわると人生の落とし穴にはまる。 地盤沈下が心配のあまり、かけなくても良い保険をかけて地盤調査で要注意判定。3年前、立て続けに4棟の新築で地盤に問題ありの判定をうけ、さすがに4件目でちょっと待った! SS試験の結果に異議あり。ま、しかし、それも勇気のいる判断です。ですが、そのSS調査の会社が地盤改良工事までお任せとなると、はて、面妖な? 皆さん悪気はないのです。心配だといえばすべて心配です。安心に二股は不要と思うのもお客様から言わせれば心配のタネ。そこでわたしたちはプロとして大事な選択を迫られます。 予算。 潤沢な予算があるわけではありません。その中で地盤改良に掛ける予算の辛いこと。そういうときは思い切ってもう一社地盤調査をかけてみる。数万円の経費をかけても百万円の地盤改良よりは安くつくかもしれない。これは決して博打ではありません。医療にセカンドオピニオンがあるように、地盤調査にもセカンドテストがあっても良い。 うん。ハウスメーカの坪単価ベスト10。 ここでは詳細はもちろん省きますが、一番高いハウスメーカーは坪110万円。10位まで下ると85万円。そうか。もちろん中身までは伺うことはできません。昨今のウッドショックを乗り越えて様々な建築資材が値上がりする中では110万円も詮無いこと。 そういえば以前大手ハウスメーカーと並んで隣同士で建築工事を進めていたとき、ふと玄関先を見るとお隣の、みなさんもよく知る某ハウスメーカーの大工がふたり、興味ありげに覗き込んでいるではありませんか。 職人ですから歓心が高いのでしょう。たしかにコモハウスの家づくりは困難な納まりが多いとわたしも常々自覚しています。できそうでできない、できないけどできる。そう、大事なことはチャレンジなのです。 馬鹿と鋏は使いよう、材料と仕上げは頭で使う。 そんなコモハウスの建築現場をご覧になりたい方はいつでも見学オーケーです。 |
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2026.2.8 「日本の家は30年、住宅ローンは35年」 <戻る |
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★ 「「日本の家は30年、住宅ローンは35年」 とある建材会社のパンフレットにさりげなく記載されていたこの一文。シュールな言い回しですが、これは多分、ジョークですよね?シリアスだとすると救われない。救われない家づくりに励む建築会社はさらにジョークを通り越している。 設計図面とにらめっこ、住まいの空気の流れと快適な室内環境、冬暖かく、夏涼しい家づくりは詰めていくほどに回答が方眼紙にくっきりと現れてくる。 さて、快適な家づくりは、まず、断熱材から。 思えば初めて羊毛断熱材を使ったのはあれはもう15年、いえ16、7年くらい前になります。これはいい、と思って早速ネットで調べると、ニュージーランドのとあるディストリビューターが取引しませんかと言うサイトにたどり着いて、見積もりをお願いすると、おっ、なんとこれは安いじゃないか、船賃だってこんなものなの?勇んで飛びついたのですがいかんせんその単位がコンテナ単位。山のようなウールを積み上げて置く場所もなく、あっさりと諦めて国内の輸入業者から買う羽目になりましたが、ま、それはそれで正解なんでしょうね。 その初めてのウール断熱材に囲まれた Y 邸の真っ白い羊毛空間はまるで羊の群れに飛び込んだ羊飼いのようでそれは美しかったですね。あの頃は耳のない断熱材も珍しく、タッカーで止めるのも、ここでいいのかな?なんて恐る恐る踏み出したりして。床の断熱材も壁も屋根裏も全て羊。メェー?いえ、羊毛。そのウールに包まれた室内の内装は珪藻土で仕上げ、外部の左官も珪藻土左官壁。窓はペアガラスの木製サッシです。しかしこの珪藻土を塗り終わった時、部屋の真ん中で左官屋さんの K さんと座り込んで、だけどなんだか海の底にいるみたいだねえ、と K さんがポツリともらしたのが今でも印象的です。そう、ほんとうに竜宮城があるのならこんな空気(?)に包まれているのかもしれない。なんだかちょっぴりしょっぽくてゆらゆらゆらゆら海の底。(珪藻土は海底の珪藻が海や湖や沼などで大量に増殖し死滅すると、その死骸は水底に沈殿し、それを掘り起こしたものが珪藻土、というわけです) 完成後、施主様は室内の音が全く外に伝わらないと言って驚いていらっしゃいました。 玄関ドアも気密性の高い木製のドアでしたが、残念なことに、17年前はまだ気密についてとことん掘り下げるということをしていなかったのです。(勉強不足は気がついたら取り返せ!)せっかくの高断熱が高気密と計画換気の面で少し劣ることになってしまいました。 早いものであれから15年。いや、17年。あと15年もせづにこの日本の家も30年を超える。果たしてローンに勝てるのか? (2026年の今日、すでに25年の歳月が流れました。)
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2026.1.12 「もういちど、有機的建築」 <戻る |
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★ 有機的建築といえばフランク・ロイド・ライト。旧帝国ホテルの設計で言わずもがなですが、日本にはライトの設計した建物が本国アメリカに次いで多いのです。 さて、ライトを持ち出すとことがおおごとになりますが、ライトのある意味ゴージャスな建物は向こうに置いといて、わたしたちは極東のちいさな島に栖むちいさな家の住人。 わたしたちには貧しい、それしか選択肢のない有機的な建築。貧弱な世界を押し広げて行くとその先に広がる有機的な建築。それは時代がル・コルビジェに代表される無機質のコンクリート打ちっ放しの「住むための機械」が時代を席巻する中で、そうした無機質の建築に抗いながら控え目に持ち出してきたこれっきゃ無い世界。しかし、それをすら跳び越えて広がるこの国の木造のゆたかな世界。 そういう意味でも日本の木造住宅はまさにライトの理想であったかもしれませんが、しかし、その私たちの建物を仔細に見るとまことによく考えられている。土壁はそののまま優れた断熱壁で、フラット35Sを凌ぐ性能を有している、かもしれない?。屋根の藁葺きは断熱材としてこんな圧倒的なものは現代では皆無。梁、桁、柱、そのどれをとっても二百年住宅、三百年住宅に負けない、かもしれない?。 法隆寺を持ち出すのは禁じ手ですが、法隆寺は正確には百二十五棟の建物群からなる西院伽藍と東院伽藍からなる斑鳩の里。法隆寺という界隈。法隆寺という世界。法隆寺という結界。 ライトが目指した有機的建築の極北。しかしそれはライトの世界とはまったく異なる異次元の世界。家造りには集成材よりも本物の持つ無垢の柱が望ましい。 壁にクロスを貼るよりも、漆喰や珪藻土の方が気持ちがいい。 家は足し算よりも引き算がいい。 ハウスメーカーよりも町場の工務店がいい。 作り手の顔が見えるちいさな工務店ならなをさらいい。 小さくても山椒は小粒のコモハウスがいい。(笑) 家は美しくありたい。美しい家の定義はむずかしいけれど。 ただ言えることは、努力なくして美しい家は手に入らない。 その努力を払うのは建築会社だけでは難しい。 若い人が建て売りに走るのもムベなるかな。家造りは根気と努力、そして勉強。しかし、勉強するには奥が深すぎる。美しい家が欲しいという不断の欲求を保ち続けるには、街に美しい建物が溢れていることが望ましい。美しい建物がなんなのかを実地で勉強できる環境こそが望ましい。 となると、やっぱり大事なことは建築会社の家づくりへの姿勢に限るのかもしれない。 斑鳩の里に建て売りはありえない。 |
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コモハウス ComoHouse |
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