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コモハウス 「建築の作法、不作法」



ブログ「コモハウス 建築の作法、不作法」も二十年の時を数え、その投稿数は600件を超えました。
振り返って顕彰するほどではありませんが(笑)、その思い出のブログからもう一度。読みかえすと、わたしたちの建築は二十年前からちっとも変わらない。
違ってきたのはまわりの風景で、もしかするとそこに建築のかわらぬ力強さがあるのかもしれません。

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2025.6.15 家は建たない ホームページ

 


今年は梅雨入り前からよく降りましたがいよいよ梅雨の真っ盛り。
こうお天気がすぐれないとなんだかブルーな気持ちで鬱陶しさが増して良くありません。
窓から外を眺めながらそんなお休みの日曜日、気分転換にとYouTubeを見てみたら、最新の住まいの設備器具を紹介する某建築会社さんの番組が目にとまり、ながら視聴では申し訳ないのですがこういった設備器具にわたし、灯台下暗しで最新情報に通じていない。恥ずかしい話ですが、昨今のシステムキッチンなんてな〜んも知らない。自慢にもなりませんが、いや思い返せば最後にメーカーのシステム・キッチンを使ったのはもうすでに四年前?

ええっ、そうか、パナソニックのシステムキッチンってこんな風に進化?(変化)してるんだ、と目から鱗。

天板が人造大理石でシンクまで一体になってシームレスに成形されおり、つまりはゴミ溜まりの目隠しがないのがウリなんですね。IHクッキングヒーターも凹凸がなくお掃除が楽。それがウリ。それらのウリの詰まるところは何なのか?
はい、その売りのシステムキッチンがこれです。

時代は変わりました。
無意識をデザインしたそうです。便利だそうです。

「作業や動線を妨げない」 「必要不可欠なテクノロジー」 「美しい家具として一体化」 「人と空間に調和するデザイン」

これはいい!かしら?と、ここがコモハウスのむずかしいところ。^_^
つまり、便利だと、楽チンだと、それがわたしたちが住まいに求める究極の機能だろうかとつい思ってしまうのです。だれでも掃除がラク、便利となると飛びつきたくなるものですが、ではそれが住まいを美しく保つ秘訣かといえばそうでもない。

「住まいはもっと美しくなる」

わたしどものキャッチフレーズからは、必ずしもこうした最新設備が美しいとは感じられないのです。

「旧築提案の家」

これはもうひとつのわたしどものキャッチフレーズです。新しいことはいいことだ。(ホント?)
わたしたちが追い求めるコモハウスの家づくりは、美しさの基準が少し違う。

「大切なことはね、目に見えないんだよ」あるいは、

「美は乱調にあり」あるいは、わたしはセザンヌよりもゴッホをとりたい。

では何をもって住まいづくりの中心に置くのか?
それは、美しさを打っちゃって、便利な生活に背を向けて、必要最低限に絞り込まれた肋骨(あばら骨)のような建築。スルメのような建築。貧しいメザシのような建築を飛び越えて豊かな世界を築きたい。それは必ずしも間違ってはいない、と思うのですが。

 

#自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #葉山町 #逗子市 #三浦市 #横浜市#有機的建築 #東濃桧 #漆喰 #住まいはもっと美しくなる

2025.6.8 ヴァーチャルな建築 ホームページ

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横須賀市:コモハウス/オリジナルの独特な玄関庇


今日のアーカイブス・ブログは5年前のコロナ騒動が始まった頃ですから月日の経つのは早いものです。2020年8月30日、まだその正体もわからず右往左往していた日々のブログです。
横須賀市、逗子市、葉山町、三浦市で「自然素材の家」づくりはコモハウスです。

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コロナ前、コロナ後。

もう私たちは「コロナ前」には戻れない。ネットをサーフィンしていると、そんなネット識者の声が声高に聞こえてきます。さて、その心は?

昨今のかまびすしい世間では盛んに「コロナ後」を定義しようという試みがなされて「コロナ後」を新たにやって来るニュー・モーニングとしてそれへの備えを呼びかける論調が増えてきました。
コロナ前でもアタフタと自分の足元が覚束なかったのに、コロナ後など論外でもう生きてはいけない。?お先真っ暗?
ソーシャル・ディスタンスもテレワークも、人と人の結びつきが敬遠されて社会が小さな枝葉に分かれていくのを押し進めているように思えてなりません。

幸せの定義を考えてみると、手を携えることがどんなに大事なことかが実感されます。
昔から言うではないですか、 I wanna hold your hand  
クィーンの歌には「手をとりあって」なんてのもありましたね。
幸せは歩いてこない、だから歩いて行くんだよ

建築の世界も御多分に洩れず、ヴァーチャル全盛の昨今ですが、それは家づくりの現場でも言えること。それがまた悲しいことに、等身大のキットで出来上がる家づくりですから「あっ」と驚いてしまいます。

家づくりはキットカット。笑

家づくりに限らないのですが、夫婦の関係も然り。丁寧に語り合うことで互いの理解が深まるように、家づくりこそは丁寧に語り合いたいものです。

わたしたちの建築は「旧築提案」を標榜して住まいをご提案してきましたが、その心は「旧(ふる)きを訪ね、あたらしきを知る」。
家づくりはおそらくは人類誕生の昔から、寝ぐらを求めて穴を掘り、屋根を拵えるところから始まって、人類の英知を傾けて少しでも快適に暮らしたいという文明の発展と軌をおなじくして進められてきた営為の努力でした。
そして、実は、家づくりは法隆寺の昔にすでに完成されている。現代の私たちは法隆寺の昔に敵わない。古(いにしえ)を知ることで心が豊かになれるのだとしたら、私たちはそのための方法を貪欲に取り入れていきたい。古材を使うのは一つの小さな試みにすぎません。そのことで、先人の人生を積み重ねるように住まいを重層的に捉えることができるかもしれない。

人は、古い息吹を感じることで心が満たされます。子供の名前におじいさんの名前の1文字を入れてみるのもわたしたちは過去に繋がりたいという欲求を抱えているからとも言えなくはない。

過去につながることで心の平安を得られるのなら、建築は、これほど素晴らしい営みはない。

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2025.6.2 日本の住まいは変わるのか? ホームページ

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横須賀市:長沢「二階のホール」から


横須賀市、逗子市、葉山町、三浦市で自然素材で家を建てる。無垢材と漆喰と鉄、美しい住まいづくりのパイオニア、コモハウスです。
 

戦争に負けて八十年。長い年月です。今や、若い人には日本が戦争に負けた、という事実すら知らない人がいるのかもしれない。いや、少なくとも、なぜ日本があの無謀な戦争に引き込まれたのか正確に知る人は少ないかもしれません。

「建築の作法、不作法」は建築会社の日々の記録ですからここで先の大戦に口を挟むのはそれこそ無作法というもの。今でも世界のあちこちで戦争が続いているのは人間様はあまり利口ではない証拠かしら。
残念ながら戦争ははしたなくも起きてしまうもの、起こしてしまうものなのでしょう。戦争とは比べるべくもありませんが、日本の住まいの変遷にも残念な動機があるものです。

住まいづくりが文化であるなら、わたしたちはどのような文化を育んできたのでしょうか?
さて、街へ出てみましょう。住宅街で足を止めて、わたしたちが目にする住まいの連なりを眺めて美しいと感じますか、それともなにも感じないでしょうか?
こんなものだから、という諦めはご法度です。

「美しい日本の私」と謳ったのは川端康成さんでした。これも先の戦争とおなじ、もうご存知ない方がほとんどでしょうが、「雪国」や「伊豆の踊子」で有名な作家です。日本で初めてノーベル文学賞を受賞した作家がストックホルムでの授賞式のスピーチで語った「美しい日本の私」。

個々に、私が美しくあるのは個人の節制と不断の努力で可能ですが、日本の街並みを美しく仕上げるのは建築会社のすぐれた審美眼以外にないでしょう。

私たちはたいへんな重責を担っている。その自覚。その責任。その使命。
そしてそれはお客様によって鍛えられると云って過言ではありません。建築会社にすぐれた審美眼が備わっていても、お客様がそれを求めていなければ宝の持ち腐れに終わります。

美しい街並みを作るのはわたしたちの努め。

さて、その美しいと感じる心に訴えかけるもの、それはまず素材です。美味しい料理がまず素材にあり、その素材を調理するシェフの腕に委ねられている。ですからまず素材の正しい使用による建築を心がけることが一等大切です。

素材が本物であること。そこからスタートすればまず大きく踏み外すことはありません。正しい素材を扱う建築会社は正しいものを積み上げて住まいを作ります。その結果が美しい住まいなのです。

さて、では本物の素材とは何でしょうか?

ここからが本番ですが、ここまで読まれて「そうだ、本物だっ!」と感じ入られた方はもうすでに本物を探し始めているかもしれません。そう。「ほんもの」はご自分で探しあてるものでもあるのです。

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2025.5.29 懐かしの我が家 ホームページ

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横須賀市:長沢「S」様邸


今日は少し古いブログから、早いもので20年前のブログですが、 2006.5.26ですから季節もちょうど今頃。詩人の寺山修司さんが亡くなられたのが1983年5月4日のこと。5月はなんとはなしに寺山さんにまつわる思い出がたくさんあります。

★★★

寺山修司の絶筆に「懐かしの我が家」があります。
手元にこの詩があるわけではありませんので詳しい内容は覚えていません。が、懐かしい我が家とは何なのかと、立ち止まってふと考えてみることがあります。

だれもが懐かしの我が家を心のうちに持っているのだとしたら、そのそれぞれの光景に写し出される心象風景はたとえば障子に映る父のあるく姿であったり、襖越しの母の息づかいであったり、夏の昼下がりのうだるような暑さのなかで畳のカビ臭いにおいであったりと、家に包まれた少年時代の私のまるで蚕の中のような暖かい感傷がうかびあがってきます。

家とはもしかしたら、この蚕のようなぬくもりなのかもしれません。そうしたぬくもりを建築はどうやって実現すればよいのでしょうか?

「旧築宣言」

 わたしたちはこの言葉を軸に据えて、新築の可能性を限定することで実現できることがあるのではないかと考えます。こころの温もりを建築で表現する?はたしてそんなことが出来るのでしょうか。できるかもしれない、としか今は言いようがありません。

町を歩いていますと、古いけれどもなんともいえず、ああいい家だなあと、おもわず立ち止まってしげしげと眺める家があります。そうして何日かたって傍をとうりますともうその家は跡形もない。取り壊されて寒々とした空地になっています。いずれここにも、あの味気ない新築がたつのでしょうか。こうして町の風景は毀れてゆく。取り返しのつかない破壊を目にします。

なぜ?と思わずにはいられません。

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2025.5.25 建築のすすめ(学問のすゝめ、風に) ホームページ

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横須賀市:桜が丘


家を見て歩くのが好きです。

家を見る、建築をみる、それはまるで福沢諭吉の「学問のすゝめ」のように人は生まれながらにして平等であり、学問を通じて己を研鑽し、社会における自己の存在意義を高めることに似て、建築を知ることで心が豊かになるかもしれないし、世界をよりよく知る手立てになるかもしれないという希望でもあります。

普段から様々な家を見ていると「住まい」の良し悪し、足りないもの、過剰なもの、愛情深い家、冷たい家、寂しい家、暖かい家の必要条件が朧げにもわかってくるものなのです。

家は、建てたいと思ったその日にさて、どんな家を、と考えて思いつくものではないのですが、欲しいと思うと後先を忘れてしまうのも人間の悲しいサガです。

先日、Xで「ナチュラルハウス」についてちょっと触れたら一気に「ナチュラルハウス・ブック」のことが思い出されて久しぶりにページを繰ってみましたら、1990年代のことがあれこれ思いなされて懐かしかったですね。 出版されたのが1996年。バブルが弾け、いよいよ不況の長期化が顕になった頃、山一證券が倒産し、社長が涙の記者会見を開いたのが1997年でした。

コモハウスの方向性を系統立てて明らかにしたいと勉強に余念がなかった頃のことです。住まいを美しく彩るのは何が大事なことなのかと考え続け、それは素材を正しく調理することだ、しかし正しく調理するとは どいうことだろうかと分からないことだらけ。その時に出会った一冊の本、それが「ナチュラルハウス・ブック」だったのです。

まだオーガニックという言葉もなく、「自然素材の家」などという謳い文句もなかった頃、 私たちが目指した方向はまさにナチュラルハウスだったのです。

土、鉄、漆喰、材木、石、陶器。
ゲル、法隆寺、桂離宮、パルテノン神殿、銀閣寺の荒びた風景。

わたしたちは小さな家づくりに臨むしがない建築会社に過ぎないけれど 、わたしたちが目指す建築は摩周湖のように深く、透きとおった永遠を顧みることができる木造の家。

きっとどこよりも美しく、どこよりも深い感動をおぼえる、そんな家づくりの遥かな道が銀色に輝いているに違いない。 

それまで材木問屋から仕入れていた構造材を、山から直接仕入れることはできないだろうかと考え東濃檜と巡り合ったのですが、バブル後の不況の時代に山の産地もまた販路を問屋を通さずに広げたいという思惑と合致したのでしょう。

サッシも建具も断熱材も問屋を通さないことでより自由な選択が可能になったのも時代なのでしょうか。それまでのガッチリと組み込まれた流通の中では見えない世界があまりに多かったのです。 

東濃檜だけではなく、断熱材をニュージーランドに求め、木製サッシの情報を遠くアルバニアやイタリア、アメリカにまで広げることができたのは インターネットのおかげでした。Windows95やiMacの爆発的な普及が後押ししてくれたのです。

 ナチュラルハウスからの長い道のり。それらの素材を調理する職人たちとの出会い。組み込まれた流通は素材だけではなく、職人もまたそうした流通に組み込まれ、自由な出会いが阻まれていたのかもしれません。そしてそれは、家を建てたいと望むたくさんの人たちにも新しい世界を提供することになったのです。

では、わたしたちは、ナチュラルハウスの門口に立てたのであろうかと今は静かに自問して、そっと唇を噛み締めているのです。

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2025.5.19 「百年住宅、二百年住宅、三百年住宅」 ホームページ

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横須賀市:壁の漆喰は校倉で仕上げています


自然素材の家づくり、ブログ「建築の作法、不作法」を書きついで20年?もっとかしら?紐解けば2005年の春からはじめた無作法なブログ。
今日のブログは比較的初期の記事からお届けします。建築の世界もだいぶん様変わりしてきましたから内容がそぐわない場合もありますが、今日のアーカーブスはぎりぎりセーフかな?笑
2010年3月3日のブログからです。ご笑覧(ご笑読?)くださいませ。

★★★

最近よく、エコハウス、エコ住宅と言った言葉を耳にします。百年住宅や二百年住宅と言った言葉も同じ延長線上にあるのでしょう?ん?それは別?

ではエコ住宅とは何を指すのでしょうか?イメージはよくわかりますが、はてエコハウス?(コモハウスならわかりますが。)

エコロジーな住宅とはなにか?ナチュラルハウスという考え方が90年代の中頃、ちょっとした衝撃で迎えられました。それに近いのかと言うとさにあらず。ナチュラルハウスはオーガニック建材を使った土の家やゲルのような原始的な家の要素を現代の住まいに持ち込むと言う考え方でした。いえ、それほど単純ではありませんね。「エコロジー(生態系的環境調和)、健康、精神という三つの要求をいかにうまくバランスをとっていくか。」「ナチュラルハウスを創造するには多くの文化が持つ知恵と実知識を学ぶ事が必要です。ナチュラルハウスはけっして新しくはありません。まったく逆です。」

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ナチュラルハウスの考え方は多くの点で私たちの家づくりに影響を与えてくれました。では、昨今叫ばれるエコハウスとは何を追求した結果なのでしょうか?つまり、エコハウスとは、「環境に配慮したエコな家づくり」と言うことになるそうで、その環境に配慮したエコな家とは、なに?

そもそもこれまでの家づくりは環境に配慮してこなかったのでしょうか?そう。配慮してこなかったのです。環境に配慮、という考え方が存在しなかったのです。もちろん環境を破壊するという積極的な意図もなかったことはいうまでもありません。では、意図的に環境に配慮するとどのような住宅になるのか?

基礎は?土台は?柱は?筋交いは?構造用合板は?サッシは?お風呂は?台所は?屋根は?仕上げ材は?配管は?こうしたものがすべて自然に還元できるということを持ってエコ住宅というのであれば、システムキッチンはダメ。ユニットバスはダメ。ビニールクロスはダメ。石油系の塗料はダメ。アルミサッシは大丈夫だけど樹脂サッシはダメ。水道配管も樹脂はダメ?でも。それでエコハウスなのかしら?そもそもエコハウスはエコロジーなハウスなの、まさかエコノミーなハウスなのでは?

百年住宅や二百年住宅のかけ声も、昔の文化住宅の21世紀版で、あの手この手で気を引いて、構造材にお金をかけて、百年経ってもびくともしない住宅が百年住宅なのでしょうか?ではコンクリート住宅は百年住宅なのかしら?二百年住宅は高品質の骨組みなどを使い、耐久性や耐震性に優れた頑丈な造りにします。しかし、費用がかかるのと、20年ごとに点検、リフォームが必要となります。そこで、あらたに助成制度を設け、二百年住宅の建築に補助金を支給すること、固定資産税の軽減を考えています。

そう、どこかのだれかさんが国を焚き付けて新たなビジネスモデルをひねり出したというわけです。だれとは言いませんが。

しかし、びくともしないかどうかわかりませんが、現在の建売り住宅でもひょっとすると百年くらいは持つのではないか?おそらく五十年は大丈夫でしょう。集成材が百年持つのかどうか?ここがわからないのですが。しかし、それでも、適切なメンテナンスを施せば百年くらい持つような気はします。百年住宅や二百年住宅が成り立つには社会にそれを許容する下地が必要です。百年住宅は住みにくい。寒い。汚い。ガタピシだ。それでも、古い家に住む精霊が私たちを見守っていてくれる、という暖かいまなざし。それなくして百年住宅はありえないでしょう。百年住宅とは精神の寛容さであり、心の豊かさであり、美しくありたいと願う私たちの不断の努力に他なりません。百年住宅はお金を出して買うものではありません。百年住宅はお金をかけても獲得できるものではありません。百年住宅や二百年住宅はけっして個人では実現できるものではなく、夫婦や家族や、まわりの人びととのつながりの中で実現するものなのだという自覚。

ああ、百年住宅は(二百年住宅は)むずかしい?そう。百年住宅はかんたんそうでむずかしい。

#自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #葉山町 #逗子市 #三浦市 #横浜市#有機的建築 #東濃桧 #漆喰 #住まいはもっと美しくなる

2025.5.14 「グーテンベルグとiPad」 ホームページ

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自然素材の家を横須賀市、葉山町、逗子市で建てるならコモハウスです。

さて、今日のアーカイブは2010年5月27日のブログから。今ではすっかり生活に馴染んだあのタブレットが世界で初めて発売されたのが今から15年前だったのです。

★★★★★

いよいよ明日、iPadが発売されるそうです。ずっとかわらずにマックを使いつづけてきた身には、昨今のアップルの隆盛はいやはや慶賀に耐えません。

そう、むかしは居たたまれなかったですからね。(笑い)マックを使っているだけで白眼視されたものでした。(ちょっと大袈裟?)いえいえ大袈裟なものですか。パソコン売り場で欲しいと思った周辺機器がマックでは使えないとわかって当惑した日々。「マック非対応」という残酷な烙印。「え?マック?」と聞き返すパソコンショップの店員の無慈悲な対応。ルターもガリレオもグーテンベルグもきっと最初は居たたまれなかったのかもしれません。

しかしこのiPad. パピルス以来の書籍文化に壊滅的な打撃を与えるのか、どうか?

ほしい。iPadが。
しかし、我慢。

書籍文化を守るために?いえいえ、もうすでに書籍文化は崩壊している。読みたい本は書店にはありません。ちらちら眺めるだけの本ならiPadで充分です。その意味でiPadは時代の要請と云えなくもありません。
問題は、グーテンベルグの活版印刷以来五百年のあのインキの臭いが消えてしまうこと。ペラペラと風に舞うあの紙の繊細な感覚が失われてしまうこと。黄ばんだ背表紙の、まるで記憶の彼方に消えてしまうあの文字の確信がうつろい始めること。

本屋さん、という言葉は、やがては「 i 本 」?と呼ばれて街の隅に細々と生き続けるのかもしれません。

しかしiPad。本筋は、意外とマウスの駆逐にあるのかもしれませんね。
ほしい。

#自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #葉山町 #逗子市 #三浦市 #横浜市#有機的建築 #東濃桧 #漆喰 #住まいはもっと美しくなる

2025.5.10 「荷が勝ちすぎると」 ホームページ

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三浦市:古い農機具を応用して


懐かしいブログをご紹介するアーカイブス・コモハウス。今日は2016年5月9日、ちょうど今から9年前。月日も同じ日を選んだのは偶然ですが、時の流れは早いもの、そして偶然とは思われない私たちの邂逅。

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人生は重き荷を背負いて、一歩一歩、確実に。しかし此れが思わぬ伏兵に出逢って遠回り、まわり道。急がば回れとなにをオタオタ走りまわるのか?

もう何年前になるでしょう?大田区の北馬込で建築中でした。通りかかったある方からメールが入って、家を建てたいと思っているのですが、是非一度お話をお伺いしたいというご連絡。聞けば、いつも北馬込の駅までの途中で弊社の建築現場を通りかかり、 気になっていつも見ているのですがとても素敵なお宅なのでこんな建築会社に頼みたいなあと思っていました。と。
もうかれこれ10年近くになるかもしれません。

その後大田区に土地を見つけて、「是非この土地を見ていただけないか」とのご連絡。結局はその土地は建売業者にさらわれてしまったのですが、それから1年ほどして、品川区に中古住宅を見つけてご購入、土地から買って新築したかったけれど、残念です。せめてリフォームだけでもお願いします。と、奥様のA様からご丁寧なご依頼。色々なご要望を丁寧に紙にしたためて何度も何度もファックスをいただきました。熱意が行間からも伺える、そんなやり取りが昨日のように思い出されます。

お引越しされて更に二、三年後でしたか、そのA様のお知り合いという女性からメールがあって、A様にご紹介頂いたのですが、新築のご相談に乗っていただけないか?とのご連絡。
もうあれから5年。最初の出会いからすでに10年の月日が流れ 、今年の賀状にご連絡もなかったのをいぶかしんでいた矢先、そのA様がお亡くなりになられたと。

ついにA様のご自宅を手がけることは叶いませんでした。人の出会いは因果なもの。今は亡くなられたA様と、残されたまだ小さなお子様たち、ご主人に 謹んで哀悼の意を。ありきたりの言葉で申しわけありません。今は安らかにおやすみください。A様のその時々のお心遣い、思いやりを私たちは忘れないでしょう。
思えば二回目のリフォーム時にいただいた鯛焼きの美味しかったことも。 

ちょっとした心遣いに繊細な思いやりを示してくれた彼女との思い出は、私には鮮烈な記憶となっていつまでも心に残ることでしょう。 

#自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市  #葉山町 #三浦市 #逗子市 #横浜市#東京都大田区 #有機的建築

2025.5.1 「家づくりの原点」 ホームページ

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流行(はやり)の歌があるように、流行の建築もあるのでしょうがこの建築の世界にどっぷりと浸かっていると昨今の住まいの流行り廃りがさっぱり見えてこない。
無頓着なのかもしれませんが、住まいの流行り廃りから身を引いて、その建物がこれから三十年四十年建ちつづける明日を思えば昨今の流行にこだわってはいられません。

家造りはお客様があって建築があります。だからこそお客様と語り合うことが一等大事になことだと思います。
語り合う。さて、ここに力点をおいて、お互いに住まいのテーマを掘り下げることからスタートするのですが、ここで面倒くさがってはいけません。わたしたちの仕事は家を建てること。しかし、ただ家を建てるのではお客様に失礼です。下請けで家を建てない工務店ですが、お客様にお引渡しする建物は最上の二文字でなければならないと、これはわたくしどもの執念です。

ではなにが最上なのでしょうか?

機能、デザイン、頑健、この三つを兼ね備えることはもちろん簡単なことではありません。建築はパルテノン神殿の昔から、法隆寺の昔から連綿とつづく技術の伝承と経験の蓄積があります。
それでもわたしたちはその僅かな上積みしか知らない。その薄っぺらい知識を総動員してわたしたちが立ち向かうものが今ここにある建築計画なのです。

だからこそ、わたしたちは話し合わなければなりません。

言葉が悪いのですが、わたしたち以上に皆様は知識が浅いかもしれない。知らないことを補い合う、なによりもあなたの存在を、あなたの希望を、あなたの喜びをわたしたちは知りたいのです。
そしてそれは、あなただけではなく、あなたのご家族にまで広がります。
どのような家を建てたいのかは、どのように住みたいのかという意識にまで遡ります。そこになにを求めるのか、その結果はどういうスタイルが在りうるのか?

わたしたちの建築への思いもお伝えしなければなりません。
近ごろ巷を見ていると、黒い建物が多すぎます。これは何なのか?これが流行りなのだということは分からないではありません。しかし大事なことは、なぜ黒をまとうのか?というその思いなのです。

わたしたちは、あえて言えば流行り廃りに惑わされたくないのです。なぜなら明日もこの家はありつづけます。明日もあさってもこの家は在りつづけ、唯一無二でありつづけたいとわたしは思うのです。これはあなたたちだけの家づくりです。
だからこそ、わたしたちは話し合わなければなりません。

美しい住まいづくりのために。

#自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #三浦市 #逗子市 #葉山町 #横浜市#有機的建築 #東濃桧 #漆喰 #住まいはもっと美しくなる

2025.4.25 「散る日本」 ホームページ

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カーペンター・イン・ザ・タウン


我と来て 遊べや親のない雀

大工になり手がない。大工のイメージをあなたはお持ちですか?
つらつら考えるに、実はわたしには確たるイメージがないのです。曖昧である以上に大工のイメージが消えてなくなってしまった。

元々一般の人にとって大工は遠い存在で、まるで身近なパン屋さんや八百屋さんのようなイメージを持ちづらい職業なのは間違いありません。

大工と聞いて、ベートーベンの「第九」を思い浮かべる人も今は少ないでしょうが、それは単純にベートーベンが遠くなったからに過ぎず、けっして大工が身近になったからではありません。(なんのこっちゃ?)

しかし大工が身近にいなくても大工の仕事はなくならない。それどころか益々その仕事は貴重でかけがえのないものとなってきます。そんな時代に反比例して建築のニーズは高まり益々大工は珍重され、手間賃は上がりそれにつれて建築費も高騰の一途を辿るのでしょうか?

さて、職人の復権は日本人のモノづくりへの情熱を取り戻す以外にありません。モノづくりへの情熱を掻き立たせるには子どもたちの遊び心に火をつける以外にあり得ません。お母さんたちに大事なことは、子どもをほっておきなさい。ありったけの愛情を注げばあとは野となれ山となれ。

それでいい。愛情さへ注げば子どもは道を踏み外さない。信じること。大きな愛情でつつんであげれば子どもはなにごとかを始めるでしょう。
子どものやる気を育てるのは親の愛情です。他には何も要らない。

今のご時世大人のチマチマした干渉が子どもをいびつに歪めてしまっている。私たち大人がもっともっと大らかに、山のようにドッシリと構えることが求められている。

それ以外に日本の復活はない。

#自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #三浦市 #逗子市 #葉山町 #横浜市#有機的建築 #東濃桧 #漆喰 #住まいはもっと美しくなる

2025.4.21 「オリンピックという容れ物」 ホームページ

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三浦市:自然素材の家 
  〜外壁は飛騨杉にリボスで塗装+西洋漆喰校倉塗り


先の東京オリンピックが開催される前、五輪スタジアムにまつわるいざこざを覚えていらっしゃいますか。いちどは決まったザハ・ハディド案が潰されて、唯一無二の建築家の作品がついにこの日本で実現しなかったあのときの経緯を思い出しながら。2015.9.15のブログからもういちど。早いものであれから十年になります。

★★★

ギリシャの丘に松明がともり、高く掲げた青年のその周りに集う若者たち。

真っ青な地中海の空。澄み渡る空気。ジリジリと照りつける太陽。競技者の誇示と威厳。張り詰めた緊張感。そこには競技場のトラックが、観客席が、大勢の群衆が固唾を飲んで見守る一瞬があるだけ。

金融危機もなければ財政破綻もない。理想もなければ失望もない。競うべき事実はタイムではなく観客の声援なのです。

オリンピックはもうやめたほうが良いですね。クーベルタン男爵の理想はとうに潰えて、あるのは国際オリンピック委員会という既得権益にしがみつき、骨の髄までしゃぶろうという醜い輩の剥き出しの、しかし巧妙に隠された欲望のみ。

だからこのオリンピックの周辺では醜い欲得のデスレースが札束をひるがえして、鍋の底を叩いたような阿鼻叫喚がけたたましい狂想曲をかき鳴らすだけ。 

開催都市の獲得レースから始まって、そこに飛び交うのは本質的には札束のみ。さすがにオリンピックのエンブレムで巨大なお金が動く、ということはないでしょうが、しかり、 そして競技場の箱物の選別からその工事の受注合戦、差配するお国の妖しげな連中の委員会という名の欲望の電車。国立競技場だけで二千億円からのお金が動き、周辺の整備やその他の会場の整備費、放送権、広告費、そしてその先にあるのは談合の二字。四年に一度のお祭りは、大人のお金の利権のお祭り。競技者までもそれはすでに職業と化したお祭りなのです。

しかしその中にあって、ザハ氏の設計は一種掃き溜めのツルと言ってもいいような気がします。 あの「生牡蠣をどろっと垂らしたような」競技場の設計案はあれだけを見ても何もわからないわけで、その全体像が何かしらあるはず。設計者の意図も、この時代にあのような建築物を建てる意味がきっとザハ氏の中には明確にあるはずです。それを是非とも聞いてみたい。

彼女がこの時代の先鋭的な類稀なる建築家であることは疑いの余地はありません。いたずらに工事費のことのみがクローズアップされて 面白おかしく揶揄されて、政治家までが口を挟むに至っては何をか言わんや。さてもさても。

餅は餅屋。餅屋の頭の中を銅工屋がつついてもなにも出てこない。ガウディの「聖家族教会」の最初の設計図を見せられた時も、銅工屋は口をあんぐりと開けたに違いない。まるで生牡蠣のように。

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