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 Como House【ブログ|アーカイブス 自然素材の家づくり】 

2005-2025

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コモハウス 建築の作法、不作法」

 

 

 



ブログ
コモハウス「建築の作法、不作法」もはや二十年の時を数え、その投稿数は600件を超えました。
振り返って顕彰するほどではありませんが、(笑)その思い出のブログからもう一度
読みかえすと、わたしたちの建築は二十年前からちっとも変わらない。違ってきたのはまわりの風景で、もしかするとそこに建築のかわらぬ力強さがあるのかもしれ
ません。
 

 

 

2025.3.24昨日・今日・明日
大草原の小さな家 戻る

 

 


身の丈を知る。
わかるようでわからないのが己のこと。人様の欠点にはすぐに目が行くけれども、自分の欠点には目が泳いでしまう。素知らぬふりでやり過ごしたい。できることなら目を瞑り、上書きして塗りつぶし、虚勢を張ってしらを切りたい。(笑)

よくあることで、正したいと思いながらもズルズルと、、、。これが、建築会社にも言えることで、建築会社もまた人格を持っているんですね。自分の会社の欠点を自覚することは、これがまた大変難しいけれども、実は薄々気がついているからまた辛いものがあります。

昨今のゼロ・エネルギー・ハウスもこれにどう取り組むかという課題は会社の明日を決定づけてしまいます。建築会社はどこもこの命題と睨めっこしなくてはなりません。

ご時世なんです。時勢のせいばかりにはできない建築会社の責任。

ゼロ・エネルギー・ハウスは二つの取り組みからなります。まずはエネルギー消費を少なくするために建物に体力をつけること。頑健な体に頑健な精神が宿るわけです。冬は住まいから熱を奪い、夏は住まいに熱が溢れかえるのは貧弱な壁とお粗末なサッシからくるわけです。壁が貧弱なのは壁の中の断熱材の性能が低いから。断熱材の厚さが足りないから。サッシがお粗末なのはそれがアルミでできており、熱伝導率が異常に高く、おまけにガラスから熱が逃げ、夏は逆に熱が呼び込まれてしまう。
もう一つは自らエネルギーを創り出していくこと。

コモハウスで家づくりを始めた何時頃からでしたか、サッシはこれは絶対に木製サッシだなと、そしてガラスはペアガラスだと思いました。アルミサッシなんて犯罪だ、と思ったのです。その当時は(今でも)アルミサッシが当たり前で、もちろんガラスはシングルでした。冬場に家のなから逃げて行く熱の実に48%は窓からなのです。

木製サッシを研究し、ローエン・ウィンドウズ社、ノード社、マーヴィン、アンダーセン、ペラ、アメリカのメーカーにメールをしてカタログを送ってもらい、その頃は日本で展開しているサッシメーカも限られており、アメリカから直接輸入しようと考えていたわけです。(そういえば、あの頃並行輸入なんて言葉がちょっとしたブームでした)イタリアのサッシメーカーにもEメールをするとすぐにカタログが送られてきました。池袋のジェトロの事務所で色々と調べているとアルメリアだったか、直接取引しませんかというサッシメーカーがありコンタクトを取ったのを覚えています。納期は1ヶ月ほどでさして難しい話ではなく、価格も驚くほど安かったですね。が、結局選んだのはアメリカのノード社のアルミクラッド木製サッシでした。外部は木製の枠にアルミで被覆しているのです。日本のアルミサッシよりも安いくらいでしたが製品はしっかりしていました。アルゴンガス入りのペアガラス。確か、インドネシアから運ばれてきたのはあちらに工場があるからでした。木製サッシも完全オートメーション化していて製作が難しいわけでもなく、ただ日本人にはどうしても木製サッシと聞くと雨に弱い、劣化が怖い、火が心配と「心配心配症候群」が頭をもたげ、とても選択肢に選ばれないという情けない時代が長く永く続きました。その頃もPVCサッシがあったのですが、なんだか木製サッシのイミテーションのようでどうにも納得できなかったのはわたしの持ち前の偏屈のせい?です。

建物を頑健にする第一は先ず窓なのです。第二は、断熱材です。これも今では高性能断熱材が華やかに横並びで競い合っていますから選択肢は豊富ですが、あの頃は羊毛断熱材くらいしかなかったのです。そして最後に換気がありますが、換気の話はまた次回に。(換気の問題も奥が深いのです。)早いものであれからすでに二十何年。

さて、そんな時代も過ぎ去って、世界の風景は一変し、世は挙げて「ゼロ・エネルギー・ハウス」の時代。私の場合は意識して省エネを目指したわけではなく、美しい住まいの条件として優れた断熱材、美しく高性能な木製サッシ、その先に快適な住まい作りがあると信じていたのです。その信念の屋台骨をぐらつかせたのは皮肉なことに建築基準法の防火基準の厚い壁でした。準防火地域では選択肢はなく、ただアルミ・サッシの灰色の世界が広がるだけ。防火認定の取れている木製サッシはわずかにケースメントくらいでは話にならなかったのです。

思えば世界中で、サッシに防火の認定を与え、それを強要するのはこの国だけかもしれませんね。しかし、それは必ずしも間違っているわけではないのです。階段に手すりをつけろというのは大きなお世話だと思いますが、サッシに関してはこの国のながい経験が活きている、のかもしれない。木製サッシがこの防火の基準を凌駕するのはいつの日となるのでしょうか?

使うエネルギーをゼロにするには建物の省エネだけではもちろんできません。建物が自らエネルギーを作り出していく。その方法は残念ながら今のところ太陽光以外に選択肢がありません。屋根にあのパネルを乗せて電気を作る。屋根に太陽光パネルを乗っけるのを厭わなければコモハウスの家は「ゼロ・エネルギー・ハウス」となります。
 

 

 

2025.3.22台所のお披露目
クヌルプの家 戻る

 

 


「鎌倉 材木座で自然素材の家づくり お客様も総出でさあ仕事」

今回の台所はとってもハード且つタイトな製作でした。二階で漆喰を自ら施工するお客さま、一階ではプロの左官屋さんが漆喰塗り。電気屋さん、建具屋さん、水道屋さん、板金屋さん、ガス屋さん、そのうえ鍛冶屋さんまでくわわってと入れ替わり立ち替わり、そのあいだを縫うようにしてキッチンの製作を進めたのではこれは正直参った。

元請けとしては何はなくとも他の職人の仕事を優先させてあげなければならず、かといって手造りのキッチンは木を切り刻んで引き出しからすべて、微妙で繊細な仕事なのです。

しかし、しかし、音を上げるよりもまえに一生懸命脇目も振らず、愚痴も言わず、丁寧に丁寧に、すこしづつすこしづつ作業を進める施主様ご一家の熱意がすべてを吹き飛ばしてくれたのかもしれません。

同じ空間を共有して、二階で作業するもの、外で作業するもの、一階の水回りで作業するもの、そうした全員の息づかいを聞きながら、私もまた施主様となにかひとつのものを共有できたようで得難い体験となってしまいました。

言葉はなくとも「魂のキャッチボール」が二階から台所へ、職人から施主様へ、施主様から台所の私へ。

携わってくれた皆様へ感謝の言葉を。

一緒に作業していた設計士がぽつりと、「いやあ、コモさんのなんて云うか、三井組は全員ほんとうにいい職人さんばっかりで、流れが素晴らしいですね」とおっしゃってくれました。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

2025.3.20わたしたちの家づくり
スペイン風のマルケシーナ 戻る

 

 


「自然素材の家づくり、横須賀市で、葉山町で、三浦市で、横浜市で」

長く曲がりくねった道。気がつけばもう後には引けないわたしのポジション。

色々と考えることばかり。

ルーティンワークが大嫌いで、いつもなにかしら違ったことをやりたい。家づくりも長い経験から割り出された方程式があって、その方程式に則って歩むぶんには間違いも少ないのでしょうが、新しいことに挑戦するのは多少の勇気とエイヤっの決断。その結果を引き受けるだけのぶ厚い経験の裏打ち。それはなにも建築だけとは限らない。建築も含めた人生のすべてがこの家に表現されてくる、という覚悟。

先日も左官のSさんと洗い出しの仕上げについてわたしの経験を話していたら、

「もう、なんでも自分でやらないでくださいよ」 

と、冗談半分で呆れられてしまいました。 
仕上げの段階に入るといろいろなことをやるわたしを見て、とある職人が、

「社長、社長はもともとなに屋さんですか?」 

そうだよね。その質問は鋭いけれど、残念ながら答えている暇がない。少しでも良い家になるようにと、寝る間も惜しんで考える。考える。考える。
考えることをやめたら家づくりはそこまで。

家づくりには最初から一本の道がある。この家にこの一本。その道が見えるようになるには、その答えを追い求める他に道がない。だから考える。 考える。考える。

最初からすでにそこに在る、あの一本の道。

杉板に塗装するとなるとオイルフィニッシュ仕上げか蜜蝋のワックス仕上げ、または柿渋で仕上げるのが無難な線?この写真はじつは杉板にリボスの石松を塗って5分ほどで拭き取っています。杉板の独特の赤みは消えてしまいましたが、この色合い、この古びたような濃淡がわたしは気に入っています。

 

 

 

 

 

2025.3.18夏の家、冬の家
築八十年の再生 戻る

 

 


さて今日は三年前のブログからご紹介いたします。建築費が上がり始めた三年前の初夏のことでした。

「自然素材の家 横須賀市、葉山町、逗子市で有機的建築」

春すぎて 夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ 天の香具山

「もうすぐ夏」

例年の梅雨明けは七月のいつ頃でしたか?七夕の頃は梅雨明けかしら?
しかし、雨は降っても日本のあの独特の蒸し暑いジメジメした、不快の極みのような梅雨はもうなくなりましたね。

いつごろからこんなに爽やかな?梅雨がやってくるようになったのでしょうか。つらつら思うに、田中角栄さんの日本列島改造論がその大きな節目であったのではなかろうか。もちろん角さんがブルトーザーのように日本列島を隅々まで耕して地形を作り替えたわけではありません。
ではありませんが、日本が大きく変わる転換点のその象徴が角さんだったのかもしれない。 

それまではあちこちにあった沼や沢や切岸や、昼なを暗い暗渠のような地形が姿を消して、光に姿を晒し、蛭やウジや藪蚊が私たちを悩ますことが無くなってきた。こうした未開の環境が確実に日本のあの圧倒的な不快の季節、梅雨の正体だったのかもしれない。

あの不快さも今や懐かしい過去の思い出。 

家づくりも隔世の感があります。
寂しいのは、住まいの質が構造に追いつかない。住まいの質、とは何だろう?

家づくりは自分探しの旅。そう、ふしぎ発見、というわけです。

建築費も高くなりましたがこの三十年間上がらなかったのが諸悪の根源?建築費も上がらなければ給料も上がらない。 

変わらないのは家づくりにかける情熱。住まいは深い想像力の彼方、考えて考えて、乾坤一擲、結局は人間力。己を鍛え、思考を鍛錬し、叩いて叩いて住まいの核を抉り出す。

そんな難しさもお客様には分からない。いや、分かってくれるかもしれない。きっとわかってくれる筈。

パズルのように組立てていくその先に、住まいの骨格が顕になる。
もうすぐそこに美しい住まいはある。

住まいはもっと美しくなる。

 

 

 

 

 

2025.3.17魅力的な家とは?
FAMILYWAY 戻る

 

 


「横須賀市、三浦市、逗子市、葉山町、横浜市 自然素材の家づくり」

住まいにはどうしても流行があり、流行り廃りのなかでその時代の流れをつかむことが大事なのでしょうが、ではその流れに乗り遅れるとどうなるのか?

時代の流れを掴むには発売されている最新の建築雑誌や「住む」や「チルちんびと」のような住宅雑誌に目を光らせると自ずと時代の潮流がわかるものです。今でもこういった雑誌が健在なのかどうか不勉強で知りませんが、しかし、ほんとうは、大事なことは流行り廃りではなく、古典なのです。古典に帰えることが何より大事だと思うのです。
世間の流行り廃りから距離を置くと、大事なことが見えてくるような気がするのですが、しかし、目を見開いても見えないことがあります。

歴史の時間に身を置くと人はなぜか落ち着くものです。心の拠り所が時間の中に隠されている。どんな分厚い雑誌にもかなわない膨大な時間の流れに身をまかせると、住まいは魅力的になるのではなかろうか?

ではどうやってそれを実現するのか?しかし、これがむずかしい。住まいの中に古いものを共存させる、というテーマを掲げてもう早二十年たちます。

「旧築提案」を看板に掲げて、古いものを呼び込んで、時間軸を二重に拵えて、新築だけでは心落ち着く空間を得られないのではないかと試行錯誤、塗装や古材や、微妙に荒々しい手触りを新築住宅に持ち込むことで、しかし、その手加減はまことに難しい。

ある時、私が苦労してこしらえた「古びた風」のドアを指差して、こんな汚らしいドアを作られて、とお叱りを受けたことがありました。施主様ではなく、そのお母様だったのですが、意図するものがまったく伝わらなかったのか、それとも本当に汚らしかったのか?(苦笑)

その昔、バブル華やかなりし頃、「住宅は25年だっ!」と言って顰蹙を買ったとある大手の住宅メーカーの社長がいました。25年持てば御の字じゃないか!それで建て替えればいいんだよ。
あながちそれを笑ってもいられない。つまりは、住み継ぐだけの魅力に欠ける建物が日本中にあふれている。それはなぜなのか?

愛がないから。住まいに対する愛がないということは、自分に対する愛がないのと同義であることに気がついた方が良い。
住まいを愛するということは、自分を振り返る時間をその住まいの中に持つということなのだと思います。

あなたはご自分の住まいの中で、心落ち着く空間を見出していますか?

 

 

 

 

 

2025.3.15「家づくりの本懐」
小網代のワザリングハイツ 戻る

 

 


「横須賀市、葉山町、逗子市、三浦市で自然素材の家づくりのパイオニア。住まいはもっと美しなる」

武士に本懐があるように、建築会社にも本懐があるはずです。では、家づくりの本懐とはいったいなんでしょうか?

家づくりの本懐は、偏に「お客様の大いなる満足」であり、さらにはご近所の皆様がこの家が建つことによって、出現することによって何とは無し(この家があることが)嬉しくなる、喜びを感じる、そうした家づくりを実現することこそが建築会社の本懐といえば言えるのかもしれません。

私たちにはそのような家づくりができるのでしょうか?これまでいったい何棟そのような幸せの家づくりを実現することができたのでしょうか?

建築会社にも成熟があります。ただ華やかなだけではなく、そこにこの家があるだけで許される、そのような建築を目指してきたのですが、この度は施主様のご理解を得て、また一つ峠を越えることができたのかな、と、ほんの少しですが私たちにも安堵の得心が得られたような、(であれば良いのですが、、、)どうでしょうか?

さて、弊社のオリジナルドアー。作れそうでなかなか作れない。まずはこのドアの特性をご理解いただけなければ作るに作れない。家づくりは普通にキレイで破綻していなければそれ以上(もしくはそれ以下?)を求めるお客様は稀です。

それ以上のドアづくりは、まず皆様がそれ以上のドアに思いをはせていただくことが前提になります。それ以上のドア作りとはそれは想像力で補う世界なのかもしれません。ですから、それ以上のドアはお客様の感性によって左右され、私たちの作るドアを楽しんで、それが欲しかったと言ってくださるような、そんな心を通い合わせる努力が必要になります。しかし、それにもかかわらず、何人かの方々が私たちの「あのコモハウスのドア」がいいとおっしゃってリクエストしてくださいます。(慌てて付け加えますと、それ以上、という言葉はそれ以下を見下しているわけではなく、それ以外というニュアンスに近いかもしれません)

それは私たちにとってはとても得難い注文なのですが、時間も精神も極限まで張りつめた労働だけに終わるとなんだか全身の力が抜けてしまう。

しかもこれが、作り始める瞬間まで迷いがある、という厄介な代物。新築住宅で、普通にキレイなだけでいい、そう思っていらっしゃるかもしれないお客様に私たちの手作りのドアを提示して本当に喜んでくれるでしょうか?(こんな汚らしいドア、と非難されやしないだろうか?)確信はどこにもない。しかし、まったくもって確信がないわけではなく、だからこそじゃあ作ろうか、と重い腰を上げるのですが、それでも私にはどこかで最初から確信がある、ような気もするのです。

ドア作りにも、実は物語があります。ドアはすでに開かれている。ドアはドア。心のドア。感性の、喜びの、想像力としてのドアがある。そう思っていただけると、建物はまたべつの相貌をおびて立ち上がってくるに違いないのですが。

 

 

 

 

 

2025.3.14「それからの、黒くぬれ」
桜の杜の満開の 戻る

 

 


「有機的建築の極北を目指して。横須賀市、葉山町、逗子市、横浜市、三浦市で自然素材の家づくりのパイオニア」

願?叶ったあの「黒くぬれ!」の三本の建具。

黒とはいえ実はチョコレートブラウンに塗った三本の建具、しかし、それは、あくまで下地としてのチョコレートブラウン。仕上げのつもりでは毛頭ありません。が、その後、紆余曲折がありましてあららら。

実は古びた建具を再現するために仕上げは泥絵の具で塗装する予定で塗料を注文したら、お目当の塗料は在庫切れ。(これは後からわかったのですが、)しかも、入荷は一ヶ月後。しかもしかも念入りに塗料の名前が似ている「ドレッシングブルー」をうっかり間違えて「ドレッシングネイビーブルー」を注文してしまったのです。こちらの商品は在庫があったのが運の尽き。届いた缶を開けてみて初めて分かったのですが、慌てて電話をすると「ドレッシングブルー」は在庫がありません、と無情の世界。

嗚呼、神も仏もあるもんか。
さて困った。困った。困った。しかし困っても始まらない。このネイビーブルーがまた欲しかったドレッシングブルーとは似ても似つかない濃紺のブルー。それが丸々一缶手元にはある。深〜い深〜い海の底をおもわせるダークなブルー。これをどうしようか?

そこでこのダークなブルーを手元にあった明るめのグリーン、「ワイルド・ベイベリー」を混ぜて少しまろやかにしたつもりが、、、うーん、変わらない?
ここからが悪戦苦闘の連続で、塗装のひび割れを作ったり、アンティークオイルを刷り込んだり、で、それでも納得がいかないとばかりにサンダーで均してから
BRIWAXというアンティークワックスをかける。

何が違うのか違わないのか?
この違い
わかってほしい あなたにも(チェルシー)

ツルンツルンとは言ってもほんのりマットなその手触り。手をかけた分だけドアはまた違った魅力があり、さて、しかし、これが結局はめぐりめぐって黒くはないけれど「黒くぬれ!」。

いかがですか?
深い海溝の海の底、ひかりも届かぬ海のなか、まるでたい焼きクンのアンコのように漆黒の闇のなかの紺碧のダークブルー。?
❓⁉️

Paint It Black ! 黒くぬれ!

 

 

 

 

 

2025.3.11 「家のつくりよう
ボクは建築士 戻る

 

 


「横須賀市、葉山町、三浦市で自然素材の家」

人と住まいと家づくりと。

家の作りようは、夏を旨とすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。

「日本に住んで日本人のための住まいづくり」という、「家の作りようは夏をもって旨とすべし」というあの兼好法師の考察は、しかし、今でも生きているのでしょうか?果たしてそれはそうなのか?その根本をもう一度考えてみると。

それというのもまず、この日本列島が以前のように死ぬほどの蒸し暑い、ねっとりするようなあの不快な梅雨時のネトネトジトジトした季節が変節してかわってきたのではないか?ということ。列島が改造されて排水設備や川が整備され、山は切り開かれ、藪や、昔はどこにでもあった沼地や蛭や沢がなくなって、不快の温床が少なくなってきたという事実もあるのかもしれない。今の若い人たちは、その昔の(と言ってもわずかに数十年前に過ぎないのですが)日本列島の圧倒的な不快の季節をほとんど知らないのかもしれません。

つまり、日本の家はもう夏をもって旨とするだけの理由も無くなってしまった。とはいえ、真夏の堪え難い酷暑はふた昔前では考えられない熱帯の国を彷彿させる次元に突入しているとも言えますが、しかしそれは、兼好法師の「暑き比わろき住居は堪え難きことなり」と嘆いたあの不快とはちょっと違うような気がするのです。

さてそこで、日本の住まいを一年中ステテコのような身軽さで暮らそうにもそれでは冬を乗り切ることはできません。健康で快適な家づくりはまず冬の寒さを克服し、そのうえで夏の酷暑を乗り切る家でなくてはなりません。

そうこうするうちに、2020年までのネット・ゼロ・エネルギーハウスの実現が叫ばれ始めて改めて快適な住まいという目指す道のりがその遥かな先がくっきりと見えてきたことがきっかけとしては大きいのかもしれませんが、それは快適であることを不快の排除に据えるというコペルニクス的転回であるわけです。しかも、エネルギーを自足するために家庭で使うエネルギーの総量を抑制することでそれを可能にするというお役所的な発想ですが、それでもこの国のみすぼらしい家づくりの根本が変わるのなら歓迎すべきことでしょう。

何と言っても今日本の家が5800万戸として、その80%以上がほぼ無断熱と言ってもいい貧相な断熱材をまとった住宅なのですから。快適な住まいの実現が、エネルギーという切り口を得て、日本の住宅は大きく変わろうとしています。

 

 

 

 

 

2025.3.10 「ドアづくり。」
ジャックと豆の木 戻る

 

 


建築会社にとっては節目となる家づくりというものがあるものです。
二階の大胆な勾配天井が美しいこちらのお宅も忘れられない住宅となりました。
神奈川県横須賀市の自然素材の家。

★★★

建具を自分たちで作ろうと思い始めた動機はなんでしたか?

いろいろなドアを見てきて、建材メーカーの建具、家具製作会社の手作りの建具、建具やさんの建具。どれも別に悪いわけじゃない。

「住まいはもっと美しくなる。横須賀市、三浦市、葉山町、逗子市。自然素材の家づくりのパイオニア、それがわたしたちコモハウスです」

もう随分前になりますが、パインのドアを好んで使った時代がありました。無垢のパインドアで北欧の輸入品でした。どっしりとして、厚さが確か36mmありました。框ドアですが重かったですね。ところがここの輸入業者が何を思ったか、同じものを自分のところで作ろうとなって、で、製作は中国。パイン材は多分ロシア産かな?ところがこれが似ても似つかぬ、いえ、似てはいるのですが厚さは33mmにジワリと痩せて、ま、これは日本では標準的な厚みですが、建具の風格は似ても似つかない。
可笑しなもので、僅かに
3
ミリの厚みがその風格を減じてしまう。建具も建物も、見た目が堂々としたものは中身も堂々としているものです。

しかも、コモハウスのオリジナルドアは最後は塗装ですから33mmの無垢材では建具に重厚感がでてこない。

建材メーカの建具はどれも貼りもので無垢とはとても呼べない。古びた建具を骨董屋さんで買ってきたとしてもとても本数は揃わない。なら自分で作ったらどうだろう?

さて、そこからの長い道程。アンティークに塗装して、これがなかなかなもので(自画自賛ですが、、、)そのうち何人かのお客様がこのドアが欲しいと言ってくださって、褒められるとブタも木に登る。しかし、これが想像以上に手強いのです。
今回は五本におまけが一本。作り始めて一週間。暑い。流しそうめんになって流れていきたい!

全部で五種類の塗料を塗り重ねていくのですが、ところがどっこい、肝心要のドレッシングブルーの塗料が足りない。慌てて注文するもお盆休みで明日まで手に入らない。

ああ、無情!

そういえばいつぞやもこんなことがあったような、、、?
しかし、今回はたっぷり一缶あるから大丈夫だと思ったのが甘い。これで盆休みも吹っ飛んでしまいましたが、ま、なるようになるさ。(泣)

 

 

 

 

 

2025.3.7 「おおきな木」 
おおきな木 戻る

 

 


究極の絞り込んだ予算で家を建てるためにわたしたちが取り組んだ課題。設備器具にお金をかけない。様々な職種を入れ代わり立ち代わり投入しない。シンプルに、単純に、ソリッドに。
足りないものは想像力で、を合言葉に。

★★★

「自然素材の家づくり、旧築提案、住まいはもっと美しくなる。わたしたちの目指すもの」

住まいづくりの難しい点は、そのテーマをなにに絞るか、にあります。この一点にこそある、と言って過言ではないのかもしれません。

お客様のご要望はたくさんあります。初めての家造りであればなをのこと、ひとつひとつ確認して、それらを集約して、そしてなにを残し、なにを捨て去るか。ご要望をすべて実現すれば良い家になるとは限らない。この家にはなにが大切か?
なにをこそ残すべきか?
そしてさらに、それをお互いの立場から眺めやり、実生活に即してアレンジを施していく。その過程でこの建物をどう理解してもらうか?

ご夫婦おふたりで住まわれる住宅です。思い切った選択と集中。下駄箱はこれでいい、というその選択。
ご夫婦で二十二足の靴がはいります。それ以上は持たない。それもまた勇気のいる決断です。

けっして大きいとは言えない住まいですが、大きすぎる吹き抜けが玄関を入るとすぐにあります。
その中央に天までとどけとばかりに母屋にまで刺さる六寸の大黒柱。

居室の天井高を抑え、吹き抜けの開放感とのアンサンブルをその対比で表現します。

 玄関に向かうとき、帰宅したその瞬間、大きすぎる石英岩の黒とざっくりと埋めた白い目地とのコントラスト。

わたしたちはなにを選び、なにを捨て、なにを残したのか。これで良かった、と思っていただけたのならありがたいのですが。

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2025.3.3  「自然素材の家をシベリアで考える 戻る

 





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


今日は
2010年のブログから紹介します。もう15年前ですが、その実体験は更に遡る1992年のシベリア旅行に端を発します。ちょうどバブルが弾けた直後で、イルクーツクのホテルでバルセロナ・オリンピックを食堂のテレビで見たのがホテルの貧しい食事とともに鮮やかに思い出されます。ソビエト崩壊直後のロシアの極貧も今は昔。

★★

シベリアに強制連行された旧日本兵がかの地で作ったという木製のスプーンやフォーク、ナイフの写真を新聞記事でふと目にして、その造形のあまりの美しさに息をのむ思いでした。

「シベリアでは使う機会もなくきれいなままだ」と、添えられた説明文にあります。

使う機会もなく、、、、という一文に熱いものがこみ上げてきます。丁寧に丁寧に彫り込まれ、磨き抜かれたそれらの食器は、空腹を抱えたままついに使われることもなかったと。

ついにふるさとに帰ることもかなわず、シベリアの極寒の大地で息絶えた人々。そして今、木製のスプーンやフォークが残り、その美しさに息をのむ後世の同胞がいる。どんな想いでスプーンの窪みを刻んだのか。どんな想いでフォークの柄を刻んだのか。

シベリアと聞いてあの極限の大地を思い浮かべるひとはもはや少数派でしかないのかもしれませんね。ソルジェニーツインの「収容所群島」や「イワン・デニーソビッチの一日」も遠い日の出来事になってしまいました。第一、この地球温暖化の前では、シベリアでさえも「避暑地の出来事」と化してしまう。

1992年、ソヴィエト崩壊直後のシベリアをハバロフスクからシベリア鉄道に乗ってイルクーツクまで旅をしたのはもうずいぶん昔の話になってしまいました。あれはバスでバイカル湖へ向かう途中でしたが、(たぶん)ログハウスを建てている現場に出くわしたのです。大男がふたり、太い丸太を抱え上げて積んでいく。丸太と丸太の間はどうやってパッキングするのだろうと興味津々に眺めていました。

なんせこのシベリアです。厳寒期にはマイナス50度にもなろうかという厳しい自然の前で、丸太と丸太の間には何もない、では済まされないでしょう。まさに命がかかった建築です。広大な大地に広がるステップ地帯の草原。積まれていく太い丸太。青い大きな空とふたりの男たち。ひとりが無造作に足下の干し草を取り上げて積んだばかりの丸太の上に載せていく。そう、無造作に、ざっくりと。そしてその上にまた太い丸太を積み上げていく。

建築とは偉大なものだと心底から思いました。断熱材、という言葉が空疎に思えるほどそれは単純で偉大な瞬間でした。

わたしたちはついに食べることもなかった食材を前にして、それでも丁寧に,丁寧にスプーンを造る。寒さで震え上がる思いをしてもなを、なつかしい我が家で家族みんなが肩を寄せ合う。大切なものはなんなのかという偉大な回答がここにあるような気がする。そう。家はこれだけでいい。

2010 414日 投稿

 

 

 

 

 

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