やっかいな時代にはいりました。めまぐるしい時代にはいりました。 それなのに、わたしたちの生活はちっとも変わらないともいえます。水を汲み、顔を洗い、働き、食事をし、布団にくるまれて寝る。川に水を汲みにいくかわりに蛇口をひねれば水がでるし、お湯もでます。山に木を刈りにいかなくてもガスはでて火を熾すことはできます。顔を洗うのに冷たいおもいをせずにすむようになったのは二十世紀最大の変化かもしれません。ゴザにくるまれたり、せんべい布団に川の字になって寝ることもなく、暖かい羽毛布団に寝ることだってできますが、それでもわたしたちの悩みはつきず、眠れぬ夜に天井の一点をじっと見つめて歯ぎしりをする。病気を気にかけ、職場の人間関係に気をつかい、他人の視線を気にかけてぬかるみに足をすくわれてしまう。手をかけることが面倒で、抗菌素材や難燃材や汚れにくいシーツにくるまれていたいと考えてしまう。宇宙空間のような無機質な生活。宇宙飛行士への憧れもアポロ計画の終焉とともに遠くへ行ってしまいました。さてさて。
わたしたちは何処に帰ればいいのでしょうか。自然素材の家づくりは、わたしたちの家づくりがある種の企業主導で効率性と利益の追求のみに利用され、流行を押し付けられ、健康を阻害されることへの拒否反応にほかなりません。天然の素材を身にまとうということは、わたしたちの生活をもういちど見直して、わたしたちの関係をもういちど再構築することにほかなりません。 わたしたちの関係。実は「キーワード」はここにあります。夫婦の関係を、子供との関係を、両親や、友人や、「家」を考えるということは、身近な人々と自分の距離感、自分の過去と未来の狭間で、もう一人の自分と向き合うことにほかなりません。 天然の素材を選ぶということの背景には、じつに膨大な意味が潜んでいます。その意味を問い直すこと。答えを与えるのではなく、大いなる疑問を口に出してみることです。できるなら、新築された家の中で、夜、一人きりで身も心もリラックスして、天然の素材があなたがたに与えたあらゆるものと自分との距離感に、わたしたちとの関係に、思いをはせてみて下さい。
建築は、もつれた糸を解きほぐして、人生を秩序立てる大きなインパクトを内に秘めています。建築は、それ自体が人生の技術者で、大工はその水先案内人なのです。ガウディの「聖家族教会」をスペインのバルセローナでご覧になった方もいっらしゃることと思います。百年たっていまだ完成しないあの壮大な建築物は、訪れるものに、まさに聖なる家族のあり方を問いかけているといって過言ではないのではないか。わたしたちもまた、聖なる家族の一員であることの「痛み」を共有し、考える葦(アシ)であること、人類の永い歴史のその一コマで、未来への橋渡しであることに意義を感じること。家を建てるということは、その未来に、あなた自身を発見することにほかならないのです。 2005年2月吉日 |